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▼ あの道この道 [RES]
  あらや   ++ ..2009/09/16(水) 08:40  No.181
  きっかけは、雨続きの今年の七月、苦し紛れに撮った「今日の小樽」の一枚だった。
手宮から見る小樽ってカッコいいなと思った。まだマンションも建っていないし。町の先に小樽湾や平磯の岬がドーンと広がっているのがとても気持ちいい。
で、こんなに素晴らしいロケーションなんだから、きっと通りや坂に由緒ある名前がついているんだろうと思って市内の坂や道を調べ始めたのがきっかけだったのです。(で、この道には別に何の名前もついていない、ただの手宮の道だということがわかって、それはそれでひどく小樽的だと感じいったのでした…)

あまり安易にインターネットを使いたくない。まずは古式ゆかしく、昭和48年10月から11月まで北海道新聞小樽後志版に連載された名作「あの道この道」をたらたら歩いてみようと考えています。市立小樽図書館は「あの道この道」全22回を一冊にまとめてファイルしてあるのでとてもありがたい。その目次です。

1.地獄坂 2.柳川通り 3.船見坂 4.商大通り 5.日蓄小路 6.仲見世通り 7.千秋通り 8.貝殻小路 9.都通り 10.桃太郎団子坂 11.引っ越し通り 12.嵐山通り 13.稲荷小路 14.静屋通り 15.手宮タヌキ小路 16.観音坂 17.中央通り 18.浮世通り 19.成り金通り 20.国際街 21.公園通り 22.金曇通り

(なを、このBBSは無料レンタルなので、画像やURLを入れることができません。画像は「今日の小樽」のギャラリーをご覧ください。)

 
▼ スケッチ・昭和四十八年小樽
  あらや   ++ ..2009/09/30(水) 19:57  No.182
   落ち着いた家並み、情緒あふれたふん囲気−古き良き街・小樽も時の流れの中で大きく姿を変えようとしている。開拓のころ、にぎわった通りや小路の変容ぶりも著しい。市内のアマチュア画家に昔懐かしい“あの道この道”をスケッチしてもらった。

これは「あの道この道」の連載第一回に付けられた序文。本当にこのスケッチがすばらしい。じつによく昭和四十八年の小樽が描かれていて懐かしさがこみあげてくる。付いている略地図もいい。今はなき建物の名前が入っていたりして、昔の記憶がよみがえってくる。
私は汽車通学の札幌の高校生でした。疲れて寝過ごし小樽まで行ってしまったりしたのが小樽との関わりの始まりです。その頃歩いた街並みの記憶と、十五年前に小樽に移住してきてからの小樽の街の間には微妙に変化があり、「あれ…こんなだったかな?」と思うこともよくありました。今回、この「あの道この道」に出会って、文章や略地図で「ああ、こうだったか…」と納得することも多かったのですが、それ以上に、このスケッチに描かれている街並みによって、なにか劇的に当時の記憶がよみがえってくるような体験をしました。
やはり画像があった方がいいなと思います。著作権の関係もあるのでこのスケッチをアップすることはできませんが、自分で撮った写真でも少しは役に立つかもしれないとも思い、この「あの道この道」再訪の企画はスワン社資料室の方で展開しようと今は考えています。

 
▼ 小樽点描
  あらや   ++ ..2009/12/05(土) 21:55  No.187
  道新「あの道この道」が描いた小樽(昭和48年)以降で勉強になったのは、昭和52〜54年の朝日新聞小樽版連載「小樽点描」でした。「小樽−坂と歴史の港町」として単行本化されていますので、市立図書館で一冊に複製した「あの道この道」を見つけるまでは、「小樽点描」の方を参考に使うことが多かったです。坂の名ということでは、両者かなりカブっていますね。(若干「あの道この道」の勝ち?)

けっこう驚いたのは、平成13年4月から18年1月までの長きにわたって市の「広報おたる」に連載された「おたる坂まち散歩」。この頃の私はもう小樽市民ですから、毎月新聞に挟まって届けられる広報を毎回必ず読んでます。私のイメージでは、もうこの連載はいつまでも(広報が終わる日まで)続いて行くもんだと思っていました。(それくらい日常の一部化していた…) この連載は繰り出してくる技が凄かった。聞いたこともない坂の名がじゃんじゃん出てくる。けっこうな快感でした。

 
▼ おたる坂まち散歩
  あらや   ++ ..2009/12/05(土) 21:57  No.188
  全50話に繰り出された「坂」。

第1話(序章).坂道に人情が行き交うまち 小樽 2.長い長い 励ましの坂 3.その名もゆかしい 団子坂 4.昔変わらぬ職人坂 5.荒巻山と十間坂 6.能島通りと十間坂 7.今や急ではない三本木急坂 8.コッフさんと外人坂(前編) 9.コッフさんと外人坂(後編) 10.ご利益のある五百羅漢の坂 11.港を見つめる船見坂(前編) 12.港を見つめる船見坂(後編) 13.長昌寺の坂と銀鱗荘 14.高島と小樽をつなぐ稲荷坂 15.浄応寺の坂(前編) 16.浄応寺の坂(後編) 17.いなりの坂(前編) 18.いなりの坂(後編) 19.地獄坂と警察署の桜 20.地獄坂と小樽商科大学 21.地獄坂とカトリック富岡教会(前編) 22.地獄坂とカトリック富岡教会(後編) 23.観音坂(前編)幻の鰊御殿 24.観音坂(中編)伊藤整の初恋 25.観音坂(後編)蘭島海水浴場 26.赤坂(前編)小樽港とともに 27.赤坂(後編)小樽海港博覧会 28.山ノ上の坂(前編)安政の坂道 29.山ノ上の坂(後編)旧小堀商店 30.十一坂(前編)十一荒木酒造 31.十一坂(後編)末広稲荷 32.うまやの坂 33.神田坂 34.なべこわしの坂(前編) 35.なべこわしの坂(後編)馬頭観音 36.紅葉橋の坂(前編) 37.紅葉橋の坂(後編)公会堂と市民会館 38.社ヶ丘の坂 住吉神社と船上山 39.千秋通りの坂(前編)千秋閣 40.千秋通りの坂(後編)天狗山スキー場 41.見晴らし坂(前編)旧板谷邸と「坂の上の雲」 42.見晴らし坂(後編)旧板谷邸と出世坂 43.一尊庵の坂 44.山中海岸の坂 チャラセナイの滝 45.野藤阪 梅ヶ枝町界わいの今と昔 46.馬追坂(前編)ニシンの群来た浜 47.馬追坂(後編)幻の銭函運河 48.停車場の坂(前編)徳源寺 49.停車場の坂(後編)伊藤整も通った坂 50.薬師神社の坂 子どもの声の響いた坂

今回の「坂」調べの発端となった写真の坂ですが、この目次を作っていて、ラスト第50話に登場する「薬師神社の坂」と知りました。豪華出演全50話のトリをつとめるだけあって、やはり、いろんな意味でインパクトをあたえる「坂」なのかもしれませんね。

 
▼ ボーナストラック
  あらや   ++ ..2009/12/05(土) 21:58  No.189
  今が旬なので…「坂の上の雲」。(今日も再放送に特番、やってましたね)

 41.見晴らし坂(前編)旧板谷邸と「坂の上の雲」
 観光客でにぎわう堺町通り。通りの山側に沿って急ながけが続いています。ふうど館の向かい小路に入り、突き当たりから右に曲がると、がけに沿って上っていく細く急な坂があります。
 坂を上っていくと、途中に数本の木があり、冬枯れの枝に残る実からキリの木だと知れます。上るにつれて、港と石狩湾が立ち上がってくるように展望が広がります。これが「見晴らし坂」です。
 坂を上りきると、右手には高い石塀を巡らした立派な門構えの屋敷があります。約千五百坪の敷地のこの屋敷は、海運業で財を成した板谷家が昭和二年に建てたものです。施工業者の大虎は当時一流の建築業者で、公会堂なども手掛けました。この屋敷は平成十一年に売却され、現在は所有者が異なるため、ここでは「旧板谷邸」と表記します。
 初代板谷宮吉(いたやみやきち)氏は安政四(一八五七)年、現在の新潟県生まれ。十四歳で北海道に渡り、商店の奉公から努力の末独立し、信香町に荒物雑貨店を開業しました。その後、精米、しょうゆ醸造など多くの事業を手掛けました。戦後まで製造の続いた板谷醸造部の「イ印のしょうゆ」を懐かしく思い出す方も多いのではないでしょうか。
 板谷家ではこれらの原料を郷里の新潟から運ぶため、明治二十六年に小型汽船を購入。これが海運業に乗り出すきっかけです。その後、船舶を購入し事業を拡大していきます。
 板谷家の転機は、明治三十七(一九〇四)年に始まる日露戦争の時に訪れました。
 日清・日露戦争を描いた司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」。物語に登場する旅順港閉塞作戦は、ロシア太平洋艦隊を旅順港内に閉じこめるため、借り上げた民間商船を港口に爆沈させて障害物にするというものでした。同年三月、二度目に行われた作戦で沈められた四隻の商船のうち、「米山丸」「弥彦丸」は板谷の誇る英国製の船でした。
 二隻の損失に対して戦後政府から支払われた補償金により板谷の海運業はさらに発展します。
 旅順港閉塞作戦の翌年の明治三十八(一九〇五)年五月二十七日、東郷平八郎が率いる連合艦隊とロシア・バルチック艦隊が対馬沖で死闘を繰り広げた「日本海海戦」から今年でちょうど百年。
 坂の上から眺める春の日本海は、同じ海でそのような激戦があったとは思えない穏やかさです。


▼ 鶴澤糸鳳軒 [RES]
  あらや   ++ ..2009/10/10(土) 10:27  No.186
  鶴澤糸鳳軒のこと シズ 司書室BBS 2009/10/05(月) 02:10 No.165
――――――――――――――――――――
義太夫の鶴澤糸鳳軒の事を調べています
何か手がかりになる事はありますか


▼ 五番館 [RES]
  あらや   ++ ..2009/10/05(月) 20:29  No.183
  札幌・五番館の閉店はなぜか悲しい。(つぶれるなんて考えたこともなかった…)

 103年の歴史に幕 札幌西武が閉店
 札幌西武(札幌市中央区北4西3)は30日、最後の営業を終えて閉店した。大勢の買い物客に見守られ、前身の老舗百貨店・五番舘時代から数えて103年の歴史に幕を下ろした。
 閉店時刻を25分すぎた午後8時25分に最後の客が退店し、従業員が正面玄関に整列。馬場達也店長が「長い間のご愛顧ありがとうございました」とあいさつするとシャッターが下ろされ、集まった約500人の市民から拍手が送られた。
 札幌西武は1906年(明治39年)に開業した五番舘が前身。82年に西武百貨店と業務提携し、90年に五番舘西武に改称。女性ファッションを中心とした品ぞろえで支持を集めたが、個人消費の落ち込みなどで売り上げが低迷。2008年度の売上高はピーク時(1991年度)の約3割の124億円だった。
 閉店後の土地・建物について、そごう・西武(東京)は売却の意向だが、売却先は未定。テナントとして入居する生活雑貨専門店の札幌ロフトと無印良品は年内、現在地で営業を継続する。また、正社員69人は配置転換などで雇用を維持するが、契約・パート従業員160人は10月末で契約を打ち切る。再就職先が決まっているのは現在15人程度という。
写真=大勢の市民が見守る中、シャッターを下ろし、103年の歴史に幕を下ろした札幌西武
(北海道新聞 2009年10月1日朝刊1面)

 
▼ 卓上四季
  あらや   ++ ..2009/10/05(月) 20:31  No.184
  同じ日の一面コラムが啄木話題をとりあげていた。

 石川啄木は函館大火に遭った後、札幌に移り住むことにした。汽車が駅に着くあたりの様子が「札幌」という小品に残されている。広い通りが秋雨の中に煙って見えた。「男も女もしめやかな恋を抱いて歩いているようにみえる」▼迎えに来た知人が駅前で説明した。「この通りはアカシア街と呼ぶのだ。あっちに大きい煉瓦造りが見える。あれは五番舘というのだ。どうだ、気に入らないかね?」。「いい!いつまでも住んでいたい」。啄木は、文中の自分に答えさせている▼啄木が札幌を訪れたのは1907年だ。五番舘がデパートとして開業した翌年である。横浜外国人居留地の洋館を模した真新しい百貨店は、その目にも印象的だったようだ▼もともと「札幌興農園」という農具や種苗の店だった。札幌に電話が開通した当初、番号に一けたの5番が与えられた。ここから、横浜の居留地の「何番館」という言い方にならい「五番舘と名付けたのが真相のようである」。札幌市史はそう書く▼かつて市民からは「三越は見る店、丸井は遊ぶ店、五番舘は買う店」という評判が立ったそうだ。だが「買う店」の時代も永遠には続かない。後身となった「札幌西武」が、きのうで店を閉じた▼郷愁ばかりで商売をすることはできない。それはわかっているが、札幌の風土から生まれ育った老舗が消えてしまったのは、やはり寂しいことだ。
(北海道新聞 2009年10月1日朝刊「卓上四季」)

 
▼ 明治40年
  あらや   ++ ..2009/10/05(月) 20:36  No.185
  時々思うのだが、啄木の北海道漂泊の明治40年(1907年)というのは、近代日本の「百年」を考える際の非常に良い目盛りになるのではないかということだ。

例えば、この「五番館」の前身「札幌興農園」。その更に前身の「興農園支店」(本店は「東京興農園」)の書籍雑誌部が発行していた「興農雑誌」は、日本のカタログ(通信販売)商法の先駆けでもあり、また、当時の最新メディア(月刊誌)を通しての農民啓発を試みた点でも大変画期的な存在ではあった。(手近に校本全集がないので確認できないが)花巻農学校教師だった宮沢賢治はもちろんこの「興農雑誌」を購読していたというし、羅須地人協会時代の花壇設計メモには札幌の種苗店をリストアップした一枚があり、中でも「札幌停車場前 札幌興農園」と「札幌市南二条西十三丁目 札幌第一農園」の二店には二重丸が振ってあったりする。(おそらく通信販売を利用していたのだろう) 蛇足ですが、「札幌第一農園」の建物設計は田上義也。

例えば、活動写真。北海道の映画館(活動写真常設館)は、明治42年春の函館「錦輝館」、翌43年の旭川(第七師団移転で好景気)と続くのですが、このことからも、啄木が漂泊した明治40年〜41年の北海道の民衆娯楽環境がかなり想像できるようになります。つまり、活動写真前夜。夜明け前。一世を風靡した娘義太夫ブームが終わり、浪曲が我が世の春を歌う明治40年代。事実、浪曲の大スター桃中軒雲右衛門や吉田奈良丸が来道したのが明治41年。反対に、啄木が活動写真を観るのは東京に戻った明治41年の浅草。トゥルビョン号の飛行フィルム映像は、啄木に「見よ、今日も、かの蒼空に/飛行機の高く飛べるを。…」という美しい詩を生み出させます。

この間の落差を埋める目盛り太線のひとつが、私には「啄木の明治40年」なのですね。映画もラジオもまだない(あるいは、電話や新聞や鉄道はすでにある)時代の民衆の姿や世の中の流れをどれくらい活き活きと正確にイメージできるかどうかが、ある意味、私の生命線なのかなとはいつも考えます。そんな目盛りのひとつに「五番館」も入ってしまったんだなと思うと(ぶつぶつ繰り返して申し訳ないが)ちょっと悲しいのです。

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▼ 私のなかの歴史 [RES]
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:41  No.169
   1994年に大きな出来事がありました。開発局は後志のマッカリ(真狩)川で近自然河川工法の考えを取り入れた改修を行っていました。マッカリヌプリ(羊蹄山)の山麓のきれいな湧水がつくった川です。ここはオショロコマのほぼ南限。氷河期には河口まで下っていたこの魚が、その後、水温の低い源流部に隔離されたため、体が小さくておなかが赤い、世界でもここだけの姿になって生き続けているところでした。
 現地に行ってみると「河畔の木は残す」というように、改善された面もありました。コンクリートも使わず、自然の石を川底に敷き詰めています。しかし、その石は拳より大きく、これを源流まで敷き詰めていく計画だったのです。サケの仲間であるオショロコマは、メスが川底を掘って産卵します。これでは、絶滅してしまうでしょう。
(自然と社会をつないで・第10回)

北海道新聞の夕刊で時々連載している「私のなかの歴史」。五月下旬からの連載は「自然と社会をつないで」というタイトルで北大大学院教授の小野有五さんの「私のなかの歴史」でした。

ロクに新聞も読めない忙しい日々が続いていた五月なので、気がつくのが遅れた。この第10回の記事でハッとして、前の新聞引っぱり出してきた次第です。

 
▼ 小野有五
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:43  No.170
  まず、連載第1回にある小野有五さんのプロフィール。

おの・ゆうご 1948年(昭和23年)、東京生まれ。東京教育大(現・筑波大)で地質学を専攻し博士課程修了後、日高山脈やヒマラヤなどで氷河地形を研究する。86年に北大大学院環境科学研究科(現・地球環境科学研究院)助教授、87年から教授。市民団体「北海道の森と川を語る会」代表。千歳川放水路計画やダム建設の問題などに自然保護の立場から取り組む。著書に「自然のメッセージを聴く」「北海道森と川からの伝言」(いずれも北海道新聞社刊)など。札幌市在住。61歳。

「私の中の歴史/自然と社会をつないで」は、プロフィールにもある通り、小野有五さんの自然保護の実践について語られているのですが、その合間合間に語られる思い出の本の話がとても興味深く、このBBSでは主にその部分を引用させていただきます。

 
▼ 小野俊一
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:45  No.171
   家族同然で暮らしていたロシア人のワルワラ・ブブノワさんは、日本にロシア・アバンギャルドや構成主義の芸術を伝えた画家であり、また偉大なロシア語の教師でもありました。長いこと早稲田大学で教え、多くのお弟子さんがいました。ブフノワ家と深い縁があるプーシキンの詩の朗読は有名でした。父俊一も戦後はロシア文学者として、シーモノフの翻訳などをしていました。
(自然と社会をつないで・第2回)

 
▼ 有島武郎
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:46  No.172
   この一カ月の調査で、すっかり北海道が好きになってしまったのですから、運命というのは不思議なものだと思います。しかし、北海道を好きになった理由はほかにもありました。空知に入る前、北海道に着いて真っ先に行ったのは岩内(後志管内)です。中学の時、有島武郎の「生れ出づる悩み」を読んで感動し、まずその舞台に行きたかったのです。
 あまりに海がきれいで驚きました。ただ、本州のつもりで泳いだら冷たくて風邪をひいてしまい、札幌に着いて真っ先に行ったのは駅前の薬屋さんでした。薬を飲んで、その好きな地にまま向かったのは北大植物園と北大のキャンパスです。北大では白い壁の古河講堂と、周りに立つハルニレの巨木に感動しました。もしいつか就職できるとしたら、北大か、山に近い信州大学、というのが、当時の私の夢にもなりました。
(自然と社会をつないで・第4回)

 
▼ 違星北斗
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:48  No.173
   雨が強い日は調査ができないので、宿舎で本を読んでいました。小さな本棚もあったのです。そこで違星北斗という人の歌集を見つけました。かわった名前で驚いたのです。「世の中は何が何やら知らねども死ぬ事だけは確かなりけり」という歌が特に心に残りました。
 しかし、その時は、彼が果たそうとして果たせなかったアイヌ民族の権利回復運動に、自分自身がかかわることになるとは夢にも思わなかったのです。
(自然と社会をつないで・第4回)

 
▼ 貞兼綾子
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:50  No.174
   ランタンでは、もう一つの発見がありました。貞兼綾子さんというチベット学者の女性が一人で村に泊まり込み、ヤクを放牧している村人の生活を調査していたのです。
 貞兼さんと歩くうちに、ヤクが草が食べ尽くさないよう、村人たちがよく工夫していることに気付きました。各放牧グループがすみ分けをするような形で移動し、群れの集中や重複を避けていたのです。ただ自然を調べるだけではなく、自然を壊さない仕組みを考えること、自然と人間の関係を考える科学が必要なのではないか、と思いました。それは環境の科学ということです。
 それまで、何の疑問もなく、ただ夢中になって氷河のことを研究してきたわけですが、機会があったら環境科学をやってみたい―と、その時初めて思いました。
(自然と社会をつないで・第7回)

 
▼ 知里幸恵
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:51  No.175
   北大に来て間もないころ、本屋で知里幸恵さんの遺稿集を見つけ、買って読んだのが幸恵さんとの出会いでした。
 「銀の滴(しずく)降る降るまはりに」で始まる「アイヌ神謡集」の編著者として知られる幸恵さんは、わずか19歳で世を去りました。いわれない差別のなか、自分の使命を追求しながらひたむきに生きた人生に私は感動を覚えずにはいられません。
 神謡集の序文は、初めての先住民族宣言と言っていい内容です。苦労の多かった彼女の人生を知り、その文章を読めば、誰もが、アイヌ民族が置かれている状況を、自らの問題として考えざるを得なくなるに違いない、と思いました。
(自然と社会をつないで・第16回)

 
▼ ル・クレジオ
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:53  No.176
   つらいことも多かったですが、うれしいこともありました。津島さんとともに「神謡集」の仏語訳のきっかけをつくられたフランスの作家ル・クレジオさんが、ノーベル文学賞を受ける前の2006年、幸恵さんのお墓参りに来てくださったのです。「知里幸恵の神謡集には文学の原点がある」と話され、私は胸が熱くなりました。
(自然と社会をつないで・第16回)

 
▼ シマフクロウ
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:55  No.177
   しかし、ゴルフ場ができれば切られてしまう森の中で、私は生まれて初めてシマフクロウを見たのです。シマフクロウは、じっと私を見つめています。その目は、私にこう語っていました。
 「あなたのような大学の先生が言うことなら、お役所や開発業者も無視はできないでしょう。反対する力があるのに、なぜ反対してくれないんですか。科学者なら、このままいけば僕たちが絶滅することは分かっているはずです。分かっていて見て見ぬふりをするのが環境科学というものなのですか。そんな研究って意味があるんですか」
 私の人生は、その時変わったのです。
(自然と社会をつないで・第8回)

 [干歳川]放水路計画はすでに自然保護を超えて社会問題、政治問題でしたし、川の地形を研究したといっても、自分は治水や河川工学の専門家ではない…。うかつに物を言うべきではないという「科学者の倫理観」が、まだ根強く私の中にありました。
 けれども、北海道で最大の環境問題が起きているのに、「環境科学」の専門家である自分が知らん顔をしていていいのだろうか? 悩んだ時、思い出すのは、根室で出会ったあのシマフクロウの目でした。
 「一般の人から見れば、あなたはずっと専門家でしょう? しかも環境科学者でしょう。なぜ知らん顔をするのですか?」。金色に輝く大きな目が、じっと私を見据えて静かにそう語りかけてくるのです。
(自然と社会をつないで・第11回)

根室のシマフクロウ、えらいぞ!

 
▼ 幸田文
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:57  No.178
  少し興味を持ったので、小野有五さんの著書「北海道 森と川からの伝言」も読んでみました。

 [幸田文さんが]亡くなって初めて出た本が『崩れ』である。それからほどなく『木』が出た。
 『木』はとくに北海道に住む人にとって、大切な本だと思う。「エゾマツの更新」に始まって、「ポプラ」でしめくくられる本だからである。
 北海道が舞台になるのは初めの章と、「灰」と題された有珠山の出てくる章だけで、最後はポプラでも東京のポプラなのだけれど、それでも、なんだか北海道にいてよかった、というような気持ちにさせてくれる。ふしぎな魅力をもった本である。
(小野有五「北海道 森と川からの伝言」)

 
▼ 宮沢賢治
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:58  No.179
   賢治を祭り上げることはたやすい。しかし、大切なのは、賢治と生きることである。
 こんなとき、賢治だったらどうするだろう? そう考えてみるだけで、私たちの人生はずいぶん変わるに違いない。
(小野有五「北海道 森と川からの伝言」)

小野有五さんにとっても、宮沢賢治は別格なように思えます。「森とともに生きる」「川と生きる」といった章に並んで、「賢治と生きる」という章を独立して設けて考察しています。

 
▼ T.S.エリオット
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 20:01  No.180
  「四月はいちばん残酷な月
 死んだ土からリラを産みだし
 思い出と欲望をないまぜにして
 重い根を春の雨でよび覚ます」
 T.S.エリオットの有名な詩「荒れ地」の冒頭はこんな詩句で始まる。
 やわらかい四月の雨が、春の恵みをもたらす。チョーサーの歌ったそんな古典的な詩をエリオットがもじった詩句だけれど、そんなことは知らなくても、
「四月はいちばん残酷な月」
 というフレーズは、いちど聞くと忘れられない印象を残す。
 とくに北海道にきてからは、この詩句が心にしみるようになった。
(小野有五「北海道 森と川からの伝言」)

私もT.S.エリオットのこの詩句が大好きで、本の最終章が、この詩句から、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」へ、宮沢賢治の「春と修羅」へ、北海道で火山灰を研究していた徳井由美さんの詩へと移って行く展開にはたいへん感じ入るものがありました。

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▼ 人物散歩(下半期) [RES]
  あらや   ++ ..2009/02/09(月) 19:44  No.158
  以前よりお約束していました「人物散歩」の下半期です。その分類表。

■ 政治家
■ 商人・事業家・実業家
■ 技術者
■ 学者・教育者
■ 文学者
■ 画家・彫刻家
■ スポーツ
■ 芸人・芸妓
■ 庶民(仏僧などを含む)
■ その他(伝説上の人物などを含む)

分類表の変更。「政治家」は、江戸時代〜現代を一本化。「商人」と「事業家・実業家」を統合し、「事業家・実業家」「学者・教育者」より「技術者」を独立させました。

 
▼ 政治家
  あらや   ++ ..2009/02/09(月) 19:45  No.159
  ● 遠山 金四郎景晋(1764−1837年) 蝦夷地検分で小樽、余市にも
● 前島 密(1835−1919年) 幕末に道内沿岸の測量も
● 永倉 新八 (1839−1915年) 新政府下、藩医継ぎ小樽へ
● 永倉 新八 (1839−1915年) 小樽新聞に新撰組の回想録
● 船樹 忠三郎(1840−1903年) 小樽の街育てた“世話役”
● 中江 兆民(1847−1901年) 自由民権運動 小樽で新聞主筆
● 中江 兆民 その2(1847−1901年) 道庁主導の官僚政治を批判
● 添田 弼(1848−1916年) 地元経済、文化の発展に尽力
● 山田 吉兵衛(1855−1909年) 自費で開削 名字が町名に
● 山本 惣五郎(1858−?年) アイヌ民族初の官吏に
● 佐柳 藤太(1870−1925年) 紛糾重ね初代小樽市長に
● 松本 隆(1881−1965年) 教職、行政、人柄生かし活躍
● 小川原 政信(1882−1953年) 小川原脩さんの父で政治家
● ウラジミル・パブロフ(生没年不詳) 41年前、姉妹都市調印で来樽
● 卜部 亮吾 (上)(1924−2002年) 皇室仕え22年 故郷に愛着も
● 卜部 亮吾 (下)(1924−2002年) 昭和天皇の意向、日記に残す

 
▼ 商人・事業家・実業家
  あらや   ++ ..2009/02/09(月) 19:47  No.160
  ● 星川 龍蔵(1821−1886年) 幕末の顔役「博徒の首領」
● 高島 嘉右衛門(1832−1914年) 北炭社長にして占い師
● 田中 福松(1837−?年) 祝津に残る鰊御殿を建設
● 京極 高徳 [生没年記述なし] 豪雪地に農場 マチの礎築く
● 猪俣 安之丞(1840−1901年) 「銀鱗荘」移築前の邸宅建てる
● 渡辺 兵四郎(1846−1932年) 網改良など漁業経営で才覚
● 弁開 凧次郎(1847−1919年) 温厚で勇敢 愛された牛馬商
● 小栗 富蔵(1853−1926年) 会津魂で余市リンゴの祖に
● 今井 武七(1854−1929年) 小樽初の百貨店を開業
● 荒井 幸作(1855−1937年) 八熊道路開削 住民生活守る
● 野口 吉次郎(1856−1933年) 貧しさから培った「顧客本位」
● 上谷 治三郎(1857−1921年) 越中屋旅館・ホテルを開く
● 初代・板谷 宮吉(1857−1924年) 戦災も逆手に取った海運王
● 前田 利嗣(1858−1900年) 共和町入植の起業社に拠出
● 清水 孫四郎(1860−1916年) 「清水鋼機」の礎 小樽発展支え
● 直光 謙八(1861−1881年) 早世惜しみ行員仲間が墓建立
● 鈴木 大吉(生没年不詳) 倶知安初の工場を開業
● 若林 貞三(1863−1929年) 水天宮建設 寄付集めに尽力
● 西出 孫左衛門(1864−1938年) 北洋漁業で成功 小樽倉庫築く
● 加藤 秋太郎(1869−1954年) オタモイの断崖にリゾート
● 磯野 進 [生没年記述なし] 気の強いサムライ商人
● 丸山 三郎 [生没年記述なし] 本格的海水浴場 蘭島に開設
● 杉江 仙次郎(1878−1953年) 激動のバス業界支える
● 音崎 太吉 [生没年記述なし] ローラースケート場を開設
● 犬上 慶五郎 [生没年記述なし] 大正期に現れた成り金
● 野村 兵助 [生没年記述なし] 道内初の純洋式ホテル開く
● 堀 末治(1886−1976年) 合同酒精の創業、樽中に源流
● 本間 栄太郎(1886−1979年) 群来に恋い焦がれた網元
● 初代・岩倉 巻次(1894−1970年) 倶知安出身、岩倉組を創業
● 金栄 庄太郎 [生没年記述なし] 老舗デパート「大黒屋」を創業
● 竹鶴 政孝 (1894−1979年) 英国でウイスキー作り学ぶ
● 竹鶴 政孝 (1894−1979年) 「世界のモルト」余市で製造
● 小林 幸平(1897−1989年) 更科粉使用のそばに先見性
● 池田 泰夫(1897−1969年) 「バンビキャラメル」生みの親
● 東海林 武雄(1900−1988年) 企業再建 次々担った経済人

 
▼ 技術者
  あらや   ++ ..2009/02/09(月) 19:48  No.161
  ● ジョゼフ・クロフォード (1842−1924年) 石炭輸送の鉄路建設に尽力
● ジョゼフ・クロフォード (1842−1924年) 綿密な調査で小樽に鉄道
● ジョゼフ・クロフォード (1842−1924年) 最後まで「北海道鉄道の父」
● エベネザー・ハワード(1850−1928年) 職住接近の「田園都市」提唱
● 星野 元貞 [生没年記述なし] 日和山灯台の初代看守長
● 飯沼 貞吉(1854−1931年) 札樽間の電話 不評を一掃
● 佐立 七次郎(1856−1922年) 旧日本郵船支店 周到に施工
● 平井 晴二郎(1856−1926年) 旧手宮鉄道の機関車庫設計
● 中島 鋭治(1858−1925年) 「小樽水道」の生みの親
● 青木 政徳(1864−1900年) 小樽港北防波堤の建設監督
● 柳原 寅蔵(1866−1964年) 倶知安でイモ「蝦夷錦」栽培
● 中條 精一郎(1868−1936年) 最良の建築家集団率いる
● 内田 富吉(1871−1935年) 小樽運河工事 実現に奔走
● 木子 幸三郎(1874−1941年) 純和風 異彩放った宿所設計
● 伊藤 長右衛門(1875−1939年) 小樽港を見守る「育ての親」
● 鈴木 重慶(1877−1937年) 京極などで機械化農業を実践
● 坪田 延次郎(?−1937年) ブリキ細工のカリスマ職人
● 木田 保造(1885−1940年) 鉄筋コンクリートで寺施工
● 下田 喜久三(1895−1970年) 日本初のアスパラ栽培成功
● 平野 義見 [生没年記述なし] ニシン漁予報の「神様」
● 成田 幸一郎 [生没年記述なし] 市役所設計 華やかさで魅了
● 小坂 秀雄(1912−2000年) 旧小樽地方貯金局を設計

 
▼ 学者・教育者
  あらや   ++ ..2009/02/09(月) 19:50  No.162
  ● 松浦 武四郎(1818−1888年) 江戸末期の遊郭の様子記す
● ブラキストン(1832−1891年) クマに遭遇 鉄砲は荷の中…
● 鵙目 貫一郎(1840−1877年) 学校のルーツ 寺子屋を開設
● ジャン・ウルバン・フォリー(1847−1915年) 道内を伝導、小樽に聖堂建設
● ジョン・ミルン(1850−1913年) 手宮洞窟の古代彫刻調査
● 内村 鑑三(1861−1930年) 祝津でアワビ研究、構造解明
● アイダ・ピアソン(1862−1937年) 静修女学校設立に協力
● 渡辺 龍聖(1862?−1945年) 科学と実践 樽商大の礎築く
● N・G・マンロー(1863−1942年) アイヌ精神文化に共鳴
● 伴 房次郎 (1874−1956年) 小樽を選んだエリート教授
● 伴 房次郎 (1874−1956年) 温厚な一方、帝国主義的発言も
● 伴 房次郎 (1874−1956年) 軍事教練事件で学生を鼓舞
● 金田一 京助(1882−1971年) 啄木と交わした祝杯ビール
● 苫米地 英俊 (1884−1966年) 柔道強豪の小樽高商校長
● 苫米地 英俊 (1884−1966年) 商業英語教授としても著書も
● 苫米地 英俊 (1884−1966年) 国情憂う内心の一方で…
● 大西 猪之介 (1888−1922年) 34歳で早世 気鋭の経済学者
● 大西 猪之介 (1888−1922年) 議論で沸騰 喧嘩も辞さず
● 五十嵐 鉄(1888−1942年) 手宮洞窟の調査を実践
● 高山 喜市郎(1889−1964年) 北手宮小の雪まつり創設
● ダニエル・マッキンノン (1889−1976年) 駄じゃれ上手な米国人教師
● ダニエル・マッキンノン (1889−1976年) 教室で逮捕され強制送還
● 山本 岩亀(1890−1960年) 後志の植物分布を調べる
● ニコライ・ネフスキー (1892−1937年) ロシア語教え民俗学研究
● ニコライ・ネフスキー (1892−1937年) 日本研究に情熱 非業の最期
● 手塚 寿郎(1896−1943年) 「まじめ人間」公私に徹底
● 中村 子之吉(1898−1992年) 農業の傍ら 環状列石を守る
● 中谷 宇吉郎(1900−1962年) ゼロ戦の着氷実験に従事
● 越崎 宗一 (1901−1976年) マチの歴史研究に情熱注ぐ
● 越崎 宗一 (1901−1976年) 運河保存 揺るがぬ信念
● 岩村 忍(1905−1988年) 東洋史に業績残した“遊牧民”
● 北川 敏男(1909−1993年) 情報科学の基礎を築く
● 井尻 正二(1913−1999年) 小樽が育てた化石の権威

 
▼ 文学者
  あらや   ++ ..2009/02/09(月) 19:51  No.163
  ● 沢辺 東開(1848−1918年) 露伴にも影響「達磨和尚」
● 幸田 露伴 (1867−1947年) 余市で電信技師 2年で出奔
● 幸田 露伴 (1867−1947年) 寺まわり、アイヌ民族に関心
● ミッシェル・リボー [生没年記述なし] 明治時代の「小樽港民」活写
● 碧川 かた(1872−1962年) 「赤とんぼ」生んだ露風の母
● 岩野 泡鳴(1873−1920年) 事業に失敗…体験を小説に
● 守谷 富太郎(1876−1950年) 茂吉の兄、入植者を診察
● 碧川 企救男 (1877−1934年) 北の地で結婚、小樽新聞社へ
● 碧川 企救男 (1877−1934年) 下層社会に目を向けて執筆
● 山本 トラ(1878−1945年) 面倒見良かった啄木の姉
● 宮原 晃一郎(1882−1945年) 「われは海の子」望郷うたう
● 葛西 善蔵(1887−1928年) 私小説の神様 波乱の人生
● 高田 紅果(1891−1955年) 啄木慕い連日家を訪問
● 子母沢 寛(1892−1968年) 幕末、明治維新の小説執筆
● 百田 宗治(1893−1955年) 伊藤整を発掘した詩人
● 田中 五呂八(1895−1937年) 「川柳とは詩なり」主張
● 早川 三代治(1895−1962年) 開拓民の姿描いた「土と人」
● 宮沢 賢治(1896−1933年) 修学旅行引率 活気に触れる
● 坂西 志保 (1896−1976年) 「一握の砂」英語圏に紹介
● 坂西 志保 (1896−1976年) 型通りの教育になじめず
● 坂西 志保 (1896−1976年) 戦後、民主主義の伝道者に
● 比良 暮雪(1898−1969年) 俳人、経済人…多才ぶり光る
● 今 東光(1898−1977年) 父が船長 全国転々し小樽へ
● 戸塚 新太郎(1899−1965年) 山と植物愛した歌人
● 沙良 峰夫(1901−1928年) 岩内出身の都会派詩人
● 違星 北斗(1902−1929年) 早世したアイヌ民族歌人
● 浅川  蟹工船仕切る“地獄の使者”
● 浅川  国家権力を背景に暴走
● 深田 久弥(1903−1971年) 山の文学 登山ブームけん引
● 八田 尚之(1905−1964年) 劇作家、「がんぜ」に望郷
● 亀井 勝一郎(1907−1966年) プロレタリア運動に傾倒
● 癈c キクヱ(1909−1968年) 菊池寛と関係 話題の女給に
● 左川 ちか (1911−1936年) 刺激的なモダニズム詩人
● 左川 ちか (1911−1936年) 鮮烈な作品残し25歳で死去
● 佐藤 冬児(1912−1985年) 在宅投票権 復活目指し闘う
● 和田 義雄(1914−1984年) 多才な児童文学者
● 八洲 秀章(1915−1985年) 悲しい初恋、大ヒット生む
● 河邨 文一郎(1917−2004年) 「虹と雪のバラード」を作詞
● 水上 勉(1919−2004年) 岩内で講演 「飢餓海峡」着想
● 中城 ふみ子(1922−1954年) 生と性、死を詠み夭折した歌人

 
▼ 画家・彫刻家
  あらや   ++ ..2009/02/09(月) 19:53  No.164
  ● 川上 冬崖(1826−1881年) 天皇視察に同行 絵画残す
● 富岡 鉄斎(1836−1924年) 独自の画風 アイヌ民族に興味
● 山下 りん(1857−1939年) 小樽に残る聖像画も制作
● 筆谷 等観(1875−1950年) 中央画壇でいち早く活躍
● 長谷川 昇(1886−1973年) 女性の美 鮮やかな洋画に
● 工藤 三郎(1888−1932年) 小樽初の洋画展開いた先駆者
● 三浦 鮮治 (1895−1976年) 後進の画家 熱心に指導
● 三浦 鮮治 (1895−1976年) 自らも制作 支えた妻
● 加藤 悦郎(1899−1959年) 戦前に活躍した風刺漫画家
● 香取 正彦(1899−1988年) 美しい鐘の音 復活呼び掛け
● 大月 源二(1904−1971年) 小説「蟹工船」の挿絵画家
● 本郷 新(1905−1980年) 「小林多喜二文学碑」を制作
● 森本 三郎 (1909−1987年) 深かった苦悩 詩に情熱
● 森本 三郎 (1909−1987年) 徹底した現場主義を貫く
● 加藤 清江(1914−1999年) 女子スキー草分け、洋画家
● 伊藤 正 (1915−1989年) ストイックに現実性追い求め
● 伊藤 正 (1915−1989年) 欧州へ旅立ち傑作描く
● 伊藤 サダ子(1922−1966年) 洋画家の夫、伊藤正に献身
● 本間 聖丈(1922−2004年) 北の風土 慈しむように描く
● 森本 光子(1923−2006年) 人物や人形多く描いた画家

 
▼ スポーツ
  あらや   ++ ..2009/02/09(月) 19:54  No.165
  ● 佐藤 棟造 [生没年記述なし] 小樽カントリー倶楽部の祖
● 千葉 彦右衛門 (?−1960年) 青森−東京 マラソンで優勝
● 千葉 彦右衛門 (?−1960年) 「酒なくては」大会中に飲む
● 長尾 雄治 [生没年記述なし] 投てき競技の才 樽商で磨く
● 秋野 武夫(1904−1983年) スキージャンプ 理論的に指導
● 伴 素彦(1905−1998年) 五輪出場 ジャンプの先駆者
● 安達 五郎(1913−1999年) 戦前のジャンプ支えた天才
● 名寄岩 静男(1914−1971年) 大関転落、病乗り越え敢闘賞
● 仲川 翠(1924−2005年) 夢の甲子園 戦争でかなわず
● 田中 利明(1935−1998年) 世界つかんだ「卓球の虫」
● 高鉄山 孝之進(1942−1996年) 元関脇、八百長?の証言も

 
▼ 芸人・芸妓
  あらや   ++ ..2009/02/09(月) 19:56  No.166
  ● 南部 てつ [生没年記述なし] にぎわい全道一 遊郭の女王
● 鈴木 吉五郎(1837−1896年) 任侠の興行師 人望も厚く
● 色内見番の文子(生没年不詳) 評判の芸者 伊藤博文も魅了
● 糸八(1868−1944年) 芸に秀で豪気さ愛された名妓
● 進藤 英太郎(1899−1977年) 海産物商から名脇役に転身
● 古川 ロッパ (1903−1961年) 小樽公演、大観衆に笑顔
● 古川 ロッパ (1903−1961年) 華族出身 世相を日記に
● 中村 伸郎(1908−1991年) 舞台60年 自然体を体現
● 小林 千代子(1910−1976年) 歌姫カラスの札幌公演実現
● 園井 恵子(1913−1945年) 映画「無法松の一生」で脚光
● 関口 将太 小樽出身 漫画のすし職人
● ちせ 「最終兵器」、悩む女子高生

 
▼ 庶民(仏僧などを含む)
  あらや   ++ ..2009/02/09(月) 19:57  No.167
  ● 貞伝(1690−1731年) 依頼を予言 五百羅漢彫る
● 堀川 乗経(1824−1878年) 西本願寺派の布教に奔走
● 横山 宣範 [生没年記述なし] 火葬場設け無名の人々弔う
● トヨイの高橋(生没年不詳) 狐にだまされた鰊漁場陸廻り
● 井上 伝蔵(1854−1918年) 石狩潜伏 秩父事件の指導者
● 佐々木 珍竜(1865−1934年) 寿都で住職、有名画家と交流
● 松邨 米三 [生没年記述なし] 線路変更 住民代表し請願
● 中島 武兵(生没年不詳) 孤児たちを養った元藩士
● 万助(生没年不詳) 村一番の猛者、竜にひるむ
● 藤嶺 久吉 [生没年記述なし] 理容師 肩書きは「アーテスト」
● 大正時代の小樽貯金支局事務員 [生没年記述なし] 公僕が詐欺、芸妓と豪遊
● 中川 慈照 [生没年記述なし] 大パレード「花まつり」に奔走

 
▼ その他(伝説上の人物などを含む)
  あらや   ++ ..2009/02/09(月) 19:58  No.168
  ● ヘルメス 商大の象徴になった商業神
● シトナイ(生没年不詳) 洞窟に棲む大蛇仕留める
● チャレンカ(生没年不詳) 義経伝説 恋破れ岬から投身
● しずか号(1884年−) 義経の愛人にちなみ命名
● ポチ(1910−1926年) 遭難の郵便局長に寄り添う





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