| 【碑文】 誰も彼も、揉みくちゃになった襤褸のように疲れきっていた。 あの、食物を盗まれた老人は、沈んで行く夕陽に掌を合せて礼拝し、側に立っていた同僚にそっと囁いた。 『日が暮れる………。兄弟………。』 彼は、小児のように嬉しげに、微笑していた。意地悪い蝎は、それを見逃さなかった。 『老毫纂奴……仕事さえ止めれば、歓んであがる!』 不運な老人は、太陽に感謝した罰で、その額を一つ殴り飛ばされた。 (沼田流人「地獄」)
【案内板】 沼田流人・ぬまたるじん。 明治31年(1898)6・20−昭和39年(1964)11・19。小説家。岩内郡老古美村(現・共和町)に生まれる。はじめ山本一郎といい、明治38年に養子となって沼田明三となる。大正10年2月の「種蒔く人」(秋田版)に小説「三人の乞食」が掲載されたが、発売禁止になったため本人はその事実を知らなかったという。倶知安−京極間の軽便鉄道「京極線」の敷設工事がはじまったのば大正6年からだが、倶知安に居住していた流人は現在の京極町北岡に集められた土工たちの悲惨な労働を見聞し、それをもとに長篇小説「血の伸き」(叢文閣、大12)を刊行した。発売禁止になったが、同じ素材によったのが同15年9月の「改造」に載った「地獄」である。ついで昭和5年には「監獄部屋」(金星堂)を上梓した。流人は倶知安の地で労働運動の協力者として地味な生活を送ったが、戦後の23年5月から倶知安高校で書道の講師を勤め、その地で没した。 |