| 鶴沢絲鳳軒 (1833-1907年) 義太夫、名士に手ほどき 三味線の名手。本名・鈴木五郎兵衛、芸名・鶴沢徳太郎。大阪に生まれ、十六歳のころから大阪文楽座付きの三味線師匠・鶴沢清六のもとで芸を磨いた。 父は幕末に小樽に来て、貸座敷「大阪屋」を営む傍ら、芝居興行を行い、浄瑠璃を教えた。絲鳳軒は、父とともに小樽に住みつき、義太夫を教えた。 絲鳳軒のもとには小樽や札幌から名士が集まり、おさらい会などは大変なにぎわいだったという。料亭接待がすたれお座敷芸に親しむ社長さんも少なくなったが、昭和の半ぱ過ぎまで、芸事は男のたしなみだった。 北海道史人名辞典に「性温厚にして施与を好み、常に清貧に安んじていた」とある。没後、門弟たちは大阪文楽座一座とともに小樽で追善興行を行い、その益金で龍徳寺に墓碑を建てた。(北海道新聞 2007年 小樽・後志版コラム「人物散歩」)
「人物散歩」に入っていたんですね。自分で切り抜いていて、忘れているなんてお恥ずかしい。 |