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[221]   ぷりんす  ..   2021/01/26(火) 15:44
 聖クリシュナの神譚詩
[返信] [引用]
 


聖クリシュナの神譚詩 が刊行されつつあります。
一度ここで便造様とその版元でのやりとりがあったように記憶しますが、今は見つかりません。
私も Bhagavata-Purana を訳していますが(きちんとしたものでなく拾い訳 抜粋訳)にすぎませんが、上の訳者もしくは訳者グループと連絡をとりたいと思っていました。石川・・・製本所気付けで手紙をだしてみましたが、返送されてきました。もしご存じであれば、あちらさまとんぼコンタクトを仲介していただけませんでしょうか。連絡方法がわからず、途方にくれています。



[220]   ぷりんす  ..   2016/10/26(水) 12:14
 遅くなりましたがお見舞い
[返信] [引用]
 


便造様&便造様の代理人様

しばらく見ないうちにときがどんどんと過ぎてしまいました。
こちらこそ遅くなり、申し訳ございません。

サイト主様のご病気が、一日もはやく快癒なされますこと、お祈り致しております。

このサイトは、特にウパニシャッドやギーターの注釈の和訳まであることに、驚嘆しております。

また復帰、ご活躍なされますよう、お祈り申し上げます。



[215]   ぷりんす  ..   2016/06/26(日) 03:36
 Totaka-astaka
[返信] [引用]
 


करुणावरुणालय पालय मां
भवसागरदुःखविदूनहृदम् ।
रचयाखिलदर्शनतत्त्वविदं
भव शंकर देशिक मे शरणम् ॥ २ ॥
karuṇā-varuṇâlaya pālaya māṁ
bhava-sāgara-duḥkha-vid-ūna-hr̥dam ǀ
racayâkhila-darśana-tattva-vidaṁ
bhava śaṁkara deśika me śaraṇam ǁ 2 ǁ
 憐憫の情けの海なる者よ、私を守り給え。生存の海の苦しみについての知識を欠いた心を持つ[私]を、すべての哲学の真実を知る者となし給え。教示者シャンカラよ、わが庇護所となり給え。

भवता जनता सुहिता भविता
निजबोधविचारण चारुमते ।
कलयेश्वरजीवविवेकविदं
भव शंकर देशिक मे शरणम् ॥ ३ ॥
bhavatā janatā suhitā bhavitā
nija-bodha-vicārana cāru-mate
kalayêśvara-jīva-viveka-vidaṁ
bhava śaṁkara deśika me śaraṇam ǁ 3 ǁ
 おんみのお蔭を蒙り、諸人は十分に益を得た者となるであろう。自身の覚りを探求する妙なる見解を持つ者よ。[私を]自在神と個別存在の区別を知る者となし給え。教示者シャンカラよ、わが庇護所となり給え。

भव एव भवानिति मे नितरां
समजायत चेतसि कौतुकिता ।
मम वारय मोहमहाजलधिं
भव शंकर देशिक मे शरणम् ॥ ४ ॥
bhava eva bhavān iti me nitarāṁ
samajāyata cetasi kautukitā ǀ
mama vāraya moha-mahā-jaladhiṁ
bhava śaṁkara deśika me śaraṇam ǁ 4 ǁ
 おんみはシヴァ自身なり[と知って]、私の心には好奇に満ちた希望が大いに湧いた。私の迷妄の大海を阻止し給え。教示者シャンカラよ、わが庇護所となり給え。
 
[216]   ぷりんす  ..   2016/07/06(水) 12:13
 Re:Totaka-astaka
[引用]
 


सुकृतेऽधिकृते बहुधा भवतो
भविता समदर्शनलालसता ।
अतिदीनमिमं परिपालय मां
भव शंकर देशिक मे शरणम् ॥ ५ ॥
sukr̥te 'dhikr̥te bahudhā bhavato
bhavitā sama-darśana-lālasatā
atidīnam imaṁ paripālaya māṁ
bhava śaṁkara deśika me śaraṇam ǁ 5 ǁ
 おんみを通じて様々な方法で善いことをなし、[その主題で]研究がなされた時に、平等観への強い熱望が生まれるであろう。この非常に惨めな私を守り給え。教示者シャンカラよ、わが庇護所となり給え。

जगतीमवितुं कलिताकृतयो
विचरन्ति महामहसश्छलतः ।
अहिमांशुरिवात्र विभासि गुरो
भव शंकर देशिक मे शरणम् ॥ ६ ॥
jagatīm avituṁ kalitâkr̥tayo
vicaranti mahā-mahasaś chalataḥ ǀ
ahimâṁśur ivâtra vibhāsi guro
bhava śaṁkara deśika me śaraṇam ǁ 6 ǁ
 世間を守るために、[様々な]姿を取った[弟子達が各地]を遊行する。そうして動き回る大球体の中の太陽の如くに、ここでおんみは輝く、師よ。教示者シャンカラよ、わが庇護所となり給え。

 
 
[217]   ぷりんす  ..   2016/07/06(水) 12:13
 Re:Totaka-astaka
[引用]
 


गुरुपुंगव पुंगवकेतन ते
समतामयतां नहि कोऽपि सुधीः ।
शरणागतवत्सल तत्त्वनिधे
भव शंकर देशिक मे शरणम् ॥ ७॥
guru-puṁgava puṁgava-ketana te
samatām ayatāṁ nahi ko 'pi sudhīḥ ǀ
śaraṇa-gata-vatsala tattva-nidhe
bhava śaṁkara deśika me śaraṇam ǁ 7 ǁ
 最勝の(プンガヴァ)師よ。牡牛の(プンガヴァ)旗印を持つおんみよ。思慮深き者の誰も、拘束されざる平等性に[おんみの如く到達し]ない。庇護を求めるものに優しき者よ。真理の宝庫よ。教示者シャンカラよ、わが庇護所となり給え。

विदिता न मया विशदैककला
न च किंचन काञ्चनमस्ति गुरो ।
द्रुतमेव विधेहि कृपां सहजां
भव शंकर देशिक मे शरणम् ॥ ८॥
viditā na mayā viśadaikakalā
na ca kiṁcana kāñcanam asti guro
drutam eva vidhehi kr̥pāṁ sahajāṁ
bhava śaṁkara deśika me śaraṇam ǁ 8 ǁ
 私によっては清浄[な知識の]一部分すらも理解されない。富も少しもない。 師よ、直ちにおんみに本来的に具わる憐れみを[私に]かけ給え。教示者シャンカラよ、わが庇護所となり給え。

 
 
[218]   ぷりんす  ..   2016/07/06(水) 12:23
 Re:Totaka-astaka
[引用]
 




勝ってに投稿してご迷惑だったかもしれません。シャンカラ伝は、ぜひさいと主様の筆で、均質な文章で御完成ください。 投稿したものはご参考になるかどうかわかりませんが。 私はこれをどうこうしたいと思うものではないので、名前はださず、また投稿も消してくださって結構です。

 
 
[219]   サイト主「便造」の代理  ..   2016/07/07(木) 13:34
 ぷりんすさま
[引用]
 


ぷりんすさま

初めまして。
昨夜、便造くんより電話がありました。
「拙ブログを大変丁寧に読んでくださっている方がいて、すぐにでも返信をしたいのだが、肩が痛くてパソコンのキーボードが打てない」とのことでした。

便造くんは、半年くらい前から、ずっと肩の激痛に悩まされていて、少しは良くなったのですが、まだPCに向かうのはキツいようです。

そのため、友人である私が便造くんからの伝言をお伝え致します。
「ご返信するのが遅くなり恐縮ですが、今しばらくお待ちくださいませ」とのことでございます。
どうぞよろしくお願い致します。

便造代理より

 

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[214]   ぷりんす  ..   2016/06/25(土) 19:39
 シャンカラ・ストーリー
[返信] [引用]
 


続きです。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 意(こころ)が鏡の様に澄んでいる時に、知識は鏡に映し出されます。従って意(こころ)を清らかに保つべく気を配らなくてはなりません。
 完全な覚りを具えたヨーガ修行者は、知識の眼を通して、全宇宙を自分自身として眺め、すべてを自己とみなします。
 感情に左右されない冷静さの結果は知識です。知識の結果は、感覚の快楽から身を引くことです。ここから自己の至福の状態を経験できます。そこから平安がやって来ます。個々人はブラフマンとは異ならないという正しい知識によって、生死の束縛から完全に自由になれるのです。
 絶対存在・最高の知識・至福の状態であるアートマンは、絶え間ない修練なしには覚ることはできません。ですから知識を求める人は、望まれた目標に到達するために、自己、ブラフマン、アートマンについて長いこと思いを寄せなくてはなりません。
 意(こころ)や感覚器官等は、アートマンのみによって照らし出されます。それは丁度瓶や壺がランプによって照らされるのと同じです。しかしこうした物体は、自分自身を照らすことはできません。
 灯りのともされたランプは、その光を示すために別のランプを必要としません。それと同じ様に、意識それ自体であるアートマンも自身を照らすのに他の器具を必要とはしません。
 シュリー・シャンカラは言っています。「無数の典籍により描かれていることがらを、私は半詩節で説明してみよう。ブラフマンだけが真実である。この世は幻想である。生き物はブラフマン自身であり、異なるところはない」

【トータカの詩についての覚書】
 「13. 集う弟子たち」の章では、ギリが先生を讃える八詩節から成る詩節を作ったとありました。トータカという韻律で作成したので、見事にできたためにギリは以後トータカと呼ばれるようになりました。それではそのトータカという韻律とはどんなものでしょうか。
1行が12音節からなり、短短長が4回繰り返されます。
∪∪− ∪∪− ∪∪− ∪∪−
これが4行で一連が構成されます。西洋風に言えば、anapaestic tetrametre でしょうか。

॥ तोटकाष्टकम् ॥
toṭakâṣṭakam
トータカの作りし讃歌八頌

विदिताखिलशास्त्रसुधाजलधे
महितोपनिषत्कथितार्थनिधे ।
हृदये कलये विमलं चरणं
भव शंकर देशिक मे शरणम् ॥ १ ॥
viditâkhila-śāstra-sudhā-jaladhe
mahitôpaniṣat-kathitârtha-nidhe ǀ
hr̥daye kalaye vimalaṁ caraṇaṁ
bhava śaṁkara deśika me śaraṇam ǁ 1 ǁ
 すべての論典のを知りたる甘露の海たる者よ、貴いウパニシャッドにより語られた意味の宝庫たる方よ。[私の]心に、[おんみの]汚れ無き御足を思いめぐらさん。教示者シャンカラよ、わが庇護所となり給え。

(to be continued)



[211]   ぷりんす  ..   2016/06/24(金) 13:18
  シャンカラ・ストーリー
[返信] [引用]
 


 もう随分と前になりますが、オークランド大学でヴィヴェーカーナンダに関するシンポジウムが開かれました。そのおりに、Ramakrishna Math が出版物の展示販売をしていました。私は難しいものはわからないので、チャイタニヤのまんがとシャンカラ伝の絵本を買いました。シャンカラ伝を読みながら、定番的な Sankara-dig-vijaya の和訳が出されることは考えられないので、この絵本あたりでも和訳したら読書界を益するのではないかと思ったりしました。
 そうこうしているうちに、同書の和訳がネット上にアップされているのを知りました。「Hinduism & Vedanta」というページで、梵文和訳の本格的な業績の間に、ひっそりとすべりこましてありました。シャンカラ注の和訳をできるサイト主であるので、最適の訳者を得たことになります。
 そこで、ネット上の訳文と絵本を見比べながら、拝読してゆきました。平易な和文で、子供にも理解できるもので、原著の趣旨にかなっていると思いました。ほとんど完訳なのですが、若干のところが手付かずで、惜しいなあと思いました。
 以下に気のついたところをメモし、また未訳の段落を補ってみたのが、以下の覚書です。私は同書の訳をする意図はないし、その任にも堪えないので、サイト主様が完成させる作業をされるなら、ご参考までにということです。
   ==========
(左端の数字は、和訳の章番号です。原書のの章には番号はついていません。それと章立ての構成は、和訳では若干改編されています)

3  その庭先に降り注いだのです。 → その庭先に降り注いだのです。こうしてその貧しい女性は貧乏生活から離れたのです。

11 ウバヤバラティは、彼女の夫の敗北を宣告することにためらいを感じました。 → 躊躇わずに夫の負けを宣言しました。

12 カパリカは、夜中になると、・・・・→ シャンカラは弟子達に気付かれないように、真夜中にバイラヴァの寺院へ行こうと企みました。

Man proposes, but God disposes. は英語の諺です。
(to be continued)
 
[212]   ぷりんす  ..   2016/06/25(土) 03:10
 Re: シャンカラ・ストーリー
[引用]
 


一回に投稿できる量に上限があるようなので分載になってしまいました。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

13 見事な韻を踏んだ、師を讃える讃歌を歌いながら
→ トータカ韻律の八詩節ひとくみからなる師への讃歌を唱えながら
(この詩は現存しているので、別ファイルに原文と和訳を作りました)

(以下は未訳の部分です。数字は原書のページ数です)
p.16 第二の遊行
 カラディを去ってから、シャンカラはシュリンゲーリに行き、弟子達と一緒にもう暫くそこで暮らしました。しばらくして後、シャンカラは人々をヴェーダの宗教に入れるために、諸国の遊行へと出発しました。訪れた先は、ティルパティ、チダッmバラム、アーメーシュワレム、マヅライ、ナーシク、ソーマナート、ドワーラカ、ウッジャイン、マテュラー及びカシュミールでした。

p.17  全知識の玉座
 カシュミールは母神集配の重要な場所のひとつです。というのも、母神シャーラダーカシミールの地におわします、と言われているからです。この地域には、シャーラダーに捧げられた四つの門を具えた寺院があります。内部には至高知識の玉座があります。その玉座には全知の人だけが座っていいので、他の人はその部屋に入ることは許されていません。東・西・北からの学者で、その知識を証明する試験に合格できた者が、かつて三つの門を開けることができました。しかし南からの学者で試験に合格した者はまだいないので、南の門は開けられたことがありませんでした。そのことを知って、シュリー・シャンカラは南の門から入ってやろうと、その寺院へと向かいました。シャンカラは門のところで押し止められて、多くの学者がやってきて、その知識を試そうとしました。シャンカラはすべての試験官を満足させ、黙らせてしまいました。彼らは門を開き、シャンカラはパドマパーダと共に中に入りました。シャンカラがまさに玉座に坐ろうとすると、その場の女神サラスヴァティーの声が響き渡りました。「あなたが全知識を具えていることは、皆の
認めるところです。しかしその玉座に登るためには、全知識であるだけでは十分ではありません。完全に清浄な生活をおくっている人でなくてはなりません」シャンカラはこれに応えて言いました。「生まれてこのかた、私は罪を犯したことはありません。私は清浄です」これを聞いて母神は満足し、シュリー・シャンカラは玉座へと登りました。
(to be continued)

 
 
[213]   ぷりんす  ..   2016/06/25(土) 10:06
 Re: シャンカラ・ストーリー
[引用]
 


続きです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

p.18 伝道の終結
 こうした人生のこの上ない勝利の後で、シャンカラは数人の弟子を連れて、ヒマーラヤのバドリナータへ向かいました。不二一元論の哲学を求める人に教えながら、数日を過ごしました。この様にして、シヴァの偉大な化身であったシャンカラは生涯の三十二年目へと到達しました。
 次にシャンカラはシヴァの聖地であるデーダーラへと行きました。そこは寒さがとても厳しく、弟子達は耐えられませんでした。そこでシュリー・シャンカラは助けを求めて、主シヴァを瞑想しました。この願いに応えて、主の足跡から温かいお湯の温泉が湧き出ました。
 さてブラフマー神に引き入れられた仙人や神々が現れ、シヴァのこの化身をシヴァローカへと連れ帰りました。天上からは花の雨がたくさん降り注ぎ、シヴァの栄光が歌われました。シュリー・シャンカラの生涯は人類にとっての祝福でした。彼は今や神の住居へと戻ったのです。その神的な火花は、神的な炎に融合しました。

p.19 シュリー・シャンカラにより創設された学林
 シュリー・シャンカラは不二一元論の哲学を広めるために、インドの四つの地域に四つの学林を創設しました。四人の主要な弟子は、それぞれの学林の初代院長となりました。南のシュリンゲーリはスレーシュヴァラーチャーリヤが、西のドワーラカはハスターマラカが、北のバドリーはトータカーチャーリヤが、東のプリーはパドマパーダが担当しました。

シュリー・シャンカラの教え
 インド哲学のヴェーダーンタ思想には、三つの主要な学派があります。不二一元論・被限定者不二論・二元論です。シュリー・シャンカラ、シュリー・ラーマーヌジャ・シュリー・マドヴァがそれぞれの学派の開祖です。ここではシュリー・シャンカラにより教えられた不二一元論の主要原則を理解してみましょう。
 真の先生とは、ヴェーダに通暁し、罪がなく、欲望を離れ、ブラフマンを知っている火とです。

p.20 弟子はそうした先生を絶えることのない献身奉仕で以て崇め尊んで、自己の知識を獲得しなくてはなりません。
 幼年期は遊んでいるうちに無駄に過ぎてゆきます。青年期は心に心地よい者に執着して過ぎてゆきます。老年期は過去を思い返すばかりです。悲しいことです。誰も至高の自己に到達することに意を配りません。
 富を蓄えようという欲望を棄てなさい。よい考えを培いなさい。意(こころ)を正しいものへと向かわせなさい。どんなものであれ、自分が得たものに満足しなさい。
 自分の持っている富・友人・若さを誇ってはいけません。時はそれらすべてを、まばたきする一瞬の間に奪い去ってしまいます。幻想で一杯のこの世に対する執着を棄て、すぐにもブラフマンを覚るべく勤め、ブラフマンと融合する様にしなさい。
(to be continued)

 







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