| 続きです。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
意(こころ)が鏡の様に澄んでいる時に、知識は鏡に映し出されます。従って意(こころ)を清らかに保つべく気を配らなくてはなりません。 完全な覚りを具えたヨーガ修行者は、知識の眼を通して、全宇宙を自分自身として眺め、すべてを自己とみなします。 感情に左右されない冷静さの結果は知識です。知識の結果は、感覚の快楽から身を引くことです。ここから自己の至福の状態を経験できます。そこから平安がやって来ます。個々人はブラフマンとは異ならないという正しい知識によって、生死の束縛から完全に自由になれるのです。 絶対存在・最高の知識・至福の状態であるアートマンは、絶え間ない修練なしには覚ることはできません。ですから知識を求める人は、望まれた目標に到達するために、自己、ブラフマン、アートマンについて長いこと思いを寄せなくてはなりません。 意(こころ)や感覚器官等は、アートマンのみによって照らし出されます。それは丁度瓶や壺がランプによって照らされるのと同じです。しかしこうした物体は、自分自身を照らすことはできません。 灯りのともされたランプは、その光を示すために別のランプを必要としません。それと同じ様に、意識それ自体であるアートマンも自身を照らすのに他の器具を必要とはしません。 シュリー・シャンカラは言っています。「無数の典籍により描かれていることがらを、私は半詩節で説明してみよう。ブラフマンだけが真実である。この世は幻想である。生き物はブラフマン自身であり、異なるところはない」
【トータカの詩についての覚書】 「13. 集う弟子たち」の章では、ギリが先生を讃える八詩節から成る詩節を作ったとありました。トータカという韻律で作成したので、見事にできたためにギリは以後トータカと呼ばれるようになりました。それではそのトータカという韻律とはどんなものでしょうか。 1行が12音節からなり、短短長が4回繰り返されます。 ∪∪− ∪∪− ∪∪− ∪∪− これが4行で一連が構成されます。西洋風に言えば、anapaestic tetrametre でしょうか。
॥ तोटकाष्टकम् ॥ toṭakâṣṭakam トータカの作りし讃歌八頌
विदिताखिलशास्त्रसुधाजलधे महितोपनिषत्कथितार्थनिधे । हृदये कलये विमलं चरणं भव शंकर देशिक मे शरणम् ॥ १ ॥ viditâkhila-śāstra-sudhā-jaladhe mahitôpaniṣat-kathitârtha-nidhe ǀ hr̥daye kalaye vimalaṁ caraṇaṁ bhava śaṁkara deśika me śaraṇam ǁ 1 ǁ すべての論典のを知りたる甘露の海たる者よ、貴いウパニシャッドにより語られた意味の宝庫たる方よ。[私の]心に、[おんみの]汚れ無き御足を思いめぐらさん。教示者シャンカラよ、わが庇護所となり給え。
(to be continued) |
..2016/06/25(土) 19:39 No.214 |
|