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[262]   sybrma  .. [URL]  2017/05/08(月) 12:50
 リンクのご報告
[返信] [引用]
 

この度、小生の『小さな資料室』というホームページの「小野崎城址」碑のページから、『北緯36度付近の中世城郭』のサイトにリンクを貼らせていただきましたので、ご報告申し上げます。よろしくお願いいたします。
 なお、貴サイトのことは余湖様から教えていただきましたので、申し添えます。

(「常陸太田市 小野崎城・今宮館・八百岐館・小野館・大堀(常陸太田市瑞龍町)」のページにも直接リンクを貼らせていただきたいのですが、これは遠慮すべきでしょうか?)
 
[263]   管理人  ..   2017/05/08(月) 19:01
 Re:リンクのご報告
[引用]
 

小さな資料室さま
リンクありがとうございます。もちろん異存ありません。
しかし、貴殿のHP拝見しましたが、古典から近代史まで範囲が凄いですね。驚きです。

 



[260]   フェニェクーティ  ..   2017/02/04(土) 12:48
 雨引山の別名は竜蓋山
[返信] [引用]
 

初めまして。常陸とその周辺の城館跡を訪れる際に度々参考にさせていただいております。有難うございます。
先日「茨城県の山」(2016年版)に目を通していた所、桜川市の雨引観音背後の雨引山は別名が竜蓋山であるとの記述がありました。気になったので行ってみると、“関東ふれあいの道”の整備に伴ってか改変されている所もありますが、山頂(409m)の東西に堀切状の溝が1条ずつ、周辺に腰郭のような削平地が幾つか見られました。
帰路、笠間市立笠間図書館で「大和村史」を繙いてみると“天正年間に対・笠間氏戦で益子氏支援に派遣された結城家臣で橋本城将の片見伊賀守晴信が雨引山に砦を築く云々”との記述がありました。この砦の跡なのかも知れません。

遺構(?)はともかく、山頂からの眺望は素晴らしいので、それなりの満足感は得られると愚考します。もし未訪でしたら、差し出がましいようですが、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

一応、雨引山北東側の292mのピーク、南東側の392mのピーク、その先の南南東にピークにも足を延ばしてみましたが、遺構の様な物は見当らず。西側の341mのピークはNTTの電波(?)施設によって改変されておりよく判りませんでした。更に西の丸山や、北の橋本城に続く尾根には行っておりません。
 
[261]   管理人  ..   2017/02/05(日) 18:11
 Re:雨引山の別名は竜蓋山
[引用]
 

フェニェクーティさん はじめまして。
貴重な情報ありがとうございます。まだ、埋もれている城郭があるんですね。どうやら陣城のようですね。一時的なものなので記録がほとんどないのかもしれません。
電波塔までは道があるようですね。そこまでは車で行ければ苦労せずに遺構まで行けるかもしれませんね。
橋本城の背後なので後方援護用のものの可能性がありそうですね。

 



[258]   米倉丹後守  .. [URL]  2016/12/04(日) 12:05
 相互リンクのアドレス変更の件
[返信] [引用]
 

ご無沙汰で、恐縮です。
相互リンクさせていただいている、「北秦野案内図」管理人です。
このたび、ニフティーの廃止にともない、HPアドレスが、上記に変更となりましたので、よろしくご対処の程を深く、お願い申し上げます。
 
[259]   管理人  ..   2016/12/19(月) 21:15
 Re:相互リンクのアドレス変更の件
[引用]
 

丹後守殿
ご無沙汰です。
アドレス変更、完了しました。
今後ともよろしくお願いいたします。

 



[256]   曲木  ..   2016/03/13(日) 16:13
 曲木城へ行ってみたい
[返信] [引用]
 

私は亡父から石川の誰それが曲木館を築いたということは聞いておりました。それが曲木城で遺跡が残っているとは知りませんでした。記事を拝見し一度訪れてみたくなりました。ご挨拶までに。
 
[257]   管理人  ..   2016/03/13(日) 19:33
 Re:曲木城へ行ってみたい
[引用]
 

曲木さん はじめまして。石川町にルーツがあるのでしょうか?
曲木城、かなり立派な城だったようです。
肝心の本郭部付近が畑だったはずなのですが、耕作が放棄され、すさまじい藪でした。過疎化の波が及んでいるみたいです。
しかし、東側の遺構は竹林の中になかなか素晴らしいものが残っています。ぜひ、ご覧ください。

 



[254]   栖吉丸  ..   2015/11/10(火) 13:21
 広田砦付近の首塚について(回答御礼)
[返信] [引用]
 

 さっそくに御回答いただき、ありがとうございます。甲陽軍鑑に
八幡原に信玄布陣の記述が無く、(友人の入知恵ですが)長野市役所の危機管理防災課で洪水のハザードマップを拝見したところ、百年に一度の洪水の際、八幡原は2メートル以上5メートル未満の水中に沈むと想定されていました。合戦のあった1561年当時もほぼ状況は同じと思われますので、出水時は水が引いた後も湿地帯のような状態ではなかったかと推測されます。よって八幡原に信玄が陣を敷いたとされることには疑問を感じております。広田砦付近から御厨・合戦場が主戦場だったとすれば上杉家御年譜(謙信編)p.173の”(信玄が)諸士ヲ下知シテ御幣川ヲクタリニ 又雨宮ノ渡リヲ志シ・・・”という記述とほぼ合致するのではと思われます。おかげをもちまして、私の中の川中島の霧も薄れてきた心地がいたします。重ねてありがとうございました。 拝復

 
[255]   あおれんじゃあ  ..   2015/11/14(土) 19:27
 Re:広田砦付近の首塚について(回答御礼)
[引用]
 

栖吉丸さん この合戦、フィクションが先行しすぎて何が真実が分からなくなってますね。
450年前のことでもこうなのですから、平安時代とか鎌倉時代の合戦等、いったいどこまで真実か分からないですね。
でも、なぞだから色々推測するのが楽しいとも言えます。
真実が分かったらがっかりするようなこともけっこう多いのじゃないかと思います。

 







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