2005年12月14日(水)
ZERO−零− メシアの言葉
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「おや。今日は客人がきているようだね」
メシアは長く真っ白いローブを身にまとい、その顔は花嫁のベールのようなものでおおわれている。肩からかかったショールは薄い素材で幾重にも波を刻んでいた。
『階段の聖母』
かの有名なミケランジェロの作品にあったあの像に似ている。 だけど彼か彼女かはわからないが、この空間では聖母にだかれるイエス・キリストがメシアではなく抱くその人物自信がメシア。そしてそのメシアに抱かれるものが聖典と思われる古い本。
「この空間ではだれもが人となる。お座りなさい」
ゆっくりとした物腰では合ったがなぜかその言葉はまるで物質が存在するかのように働き、俺達は全員なだれ込むようにしてその場に座り込んだ。
「さてさて、今日はどのお話をしよう」
ぱたぱた、と本をめくる音。
「そうだね、今日は・・・」
「世界は一つの落書き帳、というお話」
すぅと空気が流れるのを感じた。
『此れは世界が憎しみと混沌に陥ったお話』
『人の創り出す、棄て去るものについに星の器はいっぱいとなった』
『大地は全てを零へと戻す数をかぞえはじめた』
『こくり、こくり、とへっていくそれは零へと巡りつき』
『世界は“最後の審判”を迎える』
メシアが紡ぐ“音”という空間に俺は一人ぼっちで座っているような感覚で。 周りの視界がすべてクリーム色へと塗り替えられた。
俺は一人・・・メシアと二人ぼっちになった。
「座っているのはツライ?」
メシアは右の人差し指をぴんっと空へと向け、それをくるくると回し始めた。
するとどうだろうか、メシアに降り注いでいた光の柱から白く、金色の糸のようなものが出てきてだんだんとその指へと絡まっていく。 優しい、優しい糸はまるで綿菓子をからめとるようにしゅるしゅると・・・。
メシアはそれを俺へと向ける。
糸は今度俺の方へと伸び、俺の体へ巻きついた。 決して苦しいものではなく、肌に触れるか触れないかのところでその糸は俺の体を薄く包む。
ふわり、と。
体が持ち上がり俺は見えない綿の上に座っているかのように夢見ごこちでメシアを眺める。 本当に、なんて気持ちなんだろう。
メシアはまた“音”を紡ぐ。
『“世界の審判”でメシアは選択を強いられる』
『もし後戻りできないほど世界が混沌に陥っていたら』 『メシアはすべての存在を“零”へと戻す』 『そして7人の使徒と新たなる世界を創る』
『もしまだ最後の望みがあるのなら』 『メシアは己の命を“零”へと戻し世界は』 『また新たに歩き始める』
俺は黙って聞いていた。
「この世界はね、平面なんだよ。ただの紙」
「その紙にしゅしゅーっと線を引く」
「世界は座標平面」
メシアはまだ月の糸が絡まる指を地面へとむける。
するとはちみつ色をした線が二つ、ひとりでに現れてやがて直角に交わった。
「世界は座標平面」
「人々はこの平面に足跡をつける線」
「例えば誰かと誰かが巡り合えば、 その二人が描く線は世界の平面で交じり合う」
「親とかね、親友とか、恋人とか・・・ 誰よりも傍にいる時間が長い人は限りなく自分と線の値が近いんだよ」
「線の太さは人の心の煌き」
「常に自分を見失わない人は線は掠れることなく太く残る」
「つまり」
「いろんな人と早く出会えて、そして別れも誰よりも遅い」
足元の座標平面には数え切れないほどの線が走っていた。
細いもの。急なもの。ほぼ一本と化している二本の線。 途中で途切れているもの・・・これは死んだ、ということなのだろうか。
かすれるように走っているもの。
ひときわ太く、濃いもの。
なら、俺は?
俺はこの世界平面のなかでどの線を描く? どんな線を描く?
「線の値はどんな風にだって変えられる」
「だって、人は感情とともに生きているから」
「途中で薄くなったり濃くなったり、曲がったり真っ直ぐ突き進んだり」
「それは世界平面だけに許された約束」
涙が、平面に点をいくつも創った。
いままでどこか息苦しかったものがすべて洗い流されて、全ての疑問が解けて、すべて・・・何もかもが尊く思える。
このまま顔を埋めて泣き叫びたかった。
なんだという理由はないけれど。
それでもひと目憚らず叫んで、声が涸れるまで。泣いて、目が潰れるほどに。
それでもメシアはこの平面を優しく照らす、はちみつで濡れそぼった真珠のような微笑で俺の頭を撫でるのだろう。
綿菓子のように儚い手のひらで。
No.11 |
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