トモコロジー
乾燥した生活を観想する日記(のようなもの)



画像が貼れて絵が描けるカレンダー付き日記をつけませんか?月額190円!

レンタル日記 [毎日の日記の感想を書いてもらえる感想レス機能]


ごきげんよう 
 
 大変永らくお待たせしております。
最近ホームページなんて持ってる人は、商業主義な人だけのような
気がします。

まあブログも同じでしょうけれど。

というわけで、今日はちょっと自分にとって意味のある一日です。
正直なところ、自分の誕生日に自殺するという例は結構あるらしく、
そういうのはきっかけというより、決意して自死という感じなんでしょうか。

ちなみに、男性は誕生日のあとが最も自殺率が高く、女性は誕生日前が
一番危ういそうです。歳相応の責任が果たせないという気持ち、歳取りたくないという心理、どちらも頷けるものがあります。

変な話ですみません。
いえいえ、生きるとか死ぬとか不思議だなとホントにこの頃思うわけです。
生きていても死んでいるような人生もあるし、死ぬまで生き続け、いきいきとしていたという人もある。後者はゲーテを引用したまでですが。

とにかく、リセットというよりかは仕切り直し。
でも、元来リセット装置として私が選んできたのは、「花火」なんですよね。
あ、今日は花火でもしようかな。

家人に聞いてみます。多分反対されるでしょう。
..2011/7/17(日)  No.67



お茶漬け 
 
 今お茶漬けを食べています。
お茶漬けを食べるなんて本当に久しぶりのことで、なんだか妙にウキウキしてきてしまったので、ついつい更新してみました。

うちの父は無類のお茶漬け好きで、物心付いたときから(なんでも隣家の人からお宅のお子さんは何を食べてそんなに背が伸びたの?と聞かれた祖母は、「茶漬け」と回答していたらしいのです)、家庭を持ち、バブル崩壊前のイケイケどんどんのゼネコン営業最前線にいたときも、私が家を出る前まで毎日かかさずお茶漬けを食べていました(多分今でも食べているはずです)。

ただし、父が好きだったお茶漬けは、白米に高級なお漬物や海苔などを添え、熱い日本茶をかけて食べるスタイルでした。

たまにそういった食材を切らしてしまっているときには、市販のお茶漬けの素が出てくることもあり、私たちもその恩恵に預かることがありました。

でも、うちでは市販のお茶漬けの素にも熱い日本茶をかけていたんです。どう考えても味が濃くて子どもの頃は市販のお茶漬けの素が苦手でした。

でも、二十歳になった頃、ある朝、「お茶漬け食べる?」と作ってくれた人のおかげで、ようやく謎が解けました。

熱湯をかければよかったんですね。

そして今お茶漬けの素にお湯を注ぎ、さらさらと食べているというわけです。
美味です。
..2011/1/13(木)  No.66



謹賀新年 
 
 遅ればせながら新年のご挨拶を。
いろいろありまして年内で退職と相成りました。

今までお世話になった皆さま、まるで後ろ足で砂をかけるような形での終焉となりましたこと、大変申し訳なく思っております。でも、伝わる人には伝わると思ってしまう傲慢なossaですので、これは甘んじて受け入れるべき事態なのでしょう。

とにかく退職後の手続きでしばらくは右往左往することになるはずです。でも、どうなるのかは分かりませんが、何とかせねばという感じです。

人生は何度でもやり直せるなんて本当に勝手気ままな考え方なのかもしれませんが(はて何を私は書いているのでしょうか・・・)、そうなるように祈りつつ、今はただ闇雲に前進するしかないのだと思っています。




..2011/1/6(木)  No.65



いつもながら 
 
 いつもながらご無沙汰を・・・って言い訳さえもうできない気がします。でも、今私にできることはこうやってご迷惑をおかけした方々お一人ずつに謝罪すること。そこからでなければ、再スタートできないと思っています。

再スタート?はて。そんなものの必要性があるのかどうか、あるいはその確からしささえ見出せずにいますが、今は考えて立ち止まっている場合ではありません。私には残された時間がありません。限られた有限の時の中で、自分にできること、自分のすべきことをもう一度探し当てて、それに向かって、何も考えずに前進する。それだけが希望の閃光なのです。


なんだか我を失ってからあっという間に時間が経過してしまいました。ただ悪戯に時だけが流れ、私は無抵抗に、年齢だけ重ねてしまった。そうなんです。人生において、大きな決断をしないように、なるべく答えを急がないようにと言われたところで、所詮絵空事。人生は決断するしないに関わらず、前へ進まされることもあるのです。デスマーチ。

知らないうちに決定され、思っているのとは正反対の方向であっても、歩みを止めることは許されない。休むことさえままならない。そうこうしていると時間の感覚は麻痺し、自分がどうなろうが、何が破壊されようが、傷付こうがどうでも良くなってしまうのです。その恐怖を忘れ去るために次の恐怖を甘んじて受け入れる。これも生きるための知恵だったのでしょう。

一時期はこの世界を退場することもが現実味を帯びてさえいましたが、今ではそれもが遠い過去の回復記憶。私にはどうすることもできなかった。私は今もそういうものと戦っていて、でもそれは自業自得で、かろうじて時間の流れを捉え、そこに乗り遅れることがなくなっただけでも不幸中の幸いとすべきなのでしょう。

人間というものは、結局のところ、脆弱な生き物で、とりわけ私に関することで言えば、狂気と親和性を有していたと言っても過言ではありません。自分を見失うほど疲弊していたとも言えるかもしれません。それは言い訳だと言われるかもしれません。だからこれは、それも承知の上での話です。兎に角、呪われた血だろうが、何だろうが、これはもう立派に大人になった私個人の問題なのです。そこに自由意志というものは必要ありません。

必要なものは知と冷静さ。

残りの人生、取り返しがつくのかどうかも、右か左か、丁か半かも分かりませんが、闇雲に進んでいくと必ず答えは見つかるはず。そう信じることで人はその心に救いを得、最期には赦しを知るのです。受難とも言えるでしょうか。神学のことはあまり分からないので、曖昧になりましたが、おそらくそういうことなのだと思ったりしているわけです。

そのことを忘れないように、これからは一日一日、一年一年を一生懸命生きていこうと思います。ひょっとしたら10年後、新しい何か(それが自分の望んだものであるかどうかを問わず)に出会えるかもしれないですから。
..2010/8/30(月)  No.64



成人の日 
 
 ご無沙汰しております。ossaです。生きてます。
細々と、時折感情失禁しながらも、生きることを努力しています。

そんな私ですが、今日はなぜかHPを更新してみたくなりました。
というのも、成人の日だからです。

私が成人式だったのは、ぶっちゃけると約10年前の話なんですけれど、
私行かなかったのです。

当時は、「荒れる新成人」がマスコミに取り上げられ、持て囃された時代でもありましたし、自分の本意と趣旨を異にすると思ったからです。

でも、今20代を終えようとして思います。
行っておけばよかったと。

まともな人生を真面目に歩んで、生き急がず自分の歩幅で幸せを噛みしめながら、病めるときも健やかなるときも助け助けられ、そういう幸福を得るチャンスをきっとこの成人式に棒に振ってしまって、そして歯車が少しずつ噛み合わなくなって、今の自分が形成されたのではないかと思うわけです。

ですから、人一倍、おそらく今年の新成人より感慨深いものがあります。
今更やり直せないですけれど、いつかは成人式なんかよりよっぽど見ごたえのある、人をあっと驚かせるサプライズを起こすんだとか思ってたのが青い。

というわけで、3連休皆さんはお幸せに。
私の愚痴、聞いて下さりありがとうございました。
..2010/1/11(月)  No.63


簡単にタグが打ち込める掲示板で楽しみませんか?月額190円!

レンタル掲示板 [豊富な荒らし対策・充実の宣伝書き込み対策]





No. Pass 
Pass
[ホーム] [ランキング]