われらヒいちぞく



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きっと洗脳されていた(銀魂・篠原進之進/サトル) 
 
 至上の幸福感。
指先まで痺れる快感。
限りない絶頂。
雲霞の如く湧き上がる倦怠感。
数秒ごとに入れ替わる極寒と灼熱。
節々に走る激痛。
空気に晒される肌に激痛。
激痛激痛激痛激痛。

 上弦の月が歯を剥きだして嘲る夜だった。

 捕縛されてしまう事は大いに想定していた。此度の任務は潜入と同時に陽動も兼ねている。組織内の注目や警戒を己に向けさせている間に、他の監察が目当ての証拠を懐に立ち去る算段だった。実際それは殆ど仕舞いまでとてもうまくいっていたのだ。篠原はどうにも目立ち過ぎたらしい。最後の最後、己もそろそろ逃げようかというところで囚われの身と相成ってしまった。

 かつて倉庫か何かであったであろう朽ち果てた廃墟の中にも冷たい光はほんの僅かだが差し込んで、コンクリートで打ちっ放しにしただけの簡素な床を、白と黒に塗り分けている。その白と黒の狭間を、夜気に冷え切った床に体中を打ちつけながら踊るようにのた打ち回る己を、篠原は脳髄の片隅で静かに眺めている。身体の損傷などもののかずではない。問題はその後だ。殴る蹴ると散々弄られた後に己に投与された薬は、経口や舌下であったならまだしも注射針による静脈への注入だった。針は不吉な鋭さで皮膚を破り、体の中を駆け巡る血の流れにその毒液はあっさりと混ざって指先はおろか細胞の一粒までも侵していく。

「やられた」と言葉を紡げぬ唇が一人ごちた。『これ』は、『あれ』に似ている。
 『あれ』とはあれだ。阿芙蓉……江戸の頃にそう呼ばれていた、芥子から取れる麻薬については篠原も既知だった。茫洋とした多幸感からの脱力感、倦怠感、精神錯乱、衰弱…骨身に沁みたそれを、改めて篠原は思い出した。なにしろ監察方筆頭は、部屋に蓄えた資料と伝聞による知識と、そしておぞましい実地によって、篠原にそれはそれは充実した教授を与えてくれたのだから。
 だがしかし。似ているが、違う。あれほどの快楽とこれほどの辛苦を、阿芙蓉は齎してはくれなかった。篠原は考える。『これ』は、似ているが『あれ』よりも強い。強く、恐ろしい。恐らく『これ』を抜くには、『あれ』の時とは比べ物にならぬ苦しみが来るのだろう。
 死んでしまおうか、とふと思った。助け出された後己を待つ苦しみは、深海の中で口を開く巨大な深海魚の如き得体の知れない恐怖と絶望を連れて来る。朦朧とする篠原の頭の中で目の無い魚が大義げに口を開けると、細かな牙がびっしりと均等に並んだ口の奥には真の闇があった。


『精神力如きで楯突けるもんじゃないんだよ、篠原』

 成年の男としては高い声が微塵の緊張感も伴わず己を諭す言葉を、脳内で必死に巻き戻す。

『こういう薬はねェ、根幹をがっしりと握るんだ。お前がいかに自分を律する術を得ていたとして、その術に長けていることを自負していたとして、そんなものは糞の役にも立ちゃしないんだよ。お前はご立派な生まれも宜しいお育ちも大仰な名も青臭い誇りも全て剥ぎ取られて欲しい欲しいと喘ぎ続ける肉の塊になる。だからこそ』

 その言葉を聞いたのはいつだっただろうか。そうだ、あの夜もそうだった。今宵この空のように、薄い唇が歯を剥きだして嘲る夜だった。

『利己をこそ滾らせろ。苦悶を越えた先にあるであろう賛美を思う功名心、お前を嘲った敵への恨みと仇、もう少し肝が据われりゃ色欲なんてェのも湧くかもしれんねェ。とにかくだ。お前たちが好む武士道なんてのはね、魂が頭を騙してるだけの代物なのさ。もののふであれ、桜木の如くあれ、主君に捧げし死こそ誉れ…てね。生きようとする頭と命を賭する魂を擦り合せて、そうして頭を騙し切って身体を生かすが俺たちの…狗の役割なのさ』

 篠原はふらりと身を起こした。暴れた甲斐あって手首を戒めていた縄の戒めからは何とか逃れることが出来たようだった。脳裏で笑う嘲る月のもとへと、帰りたくもないのに如何なる術をも駆使して帰らんとしているのか、薬に侵された頭の片隅が、酷く冷たく澄んでいくのが解った。篠原は硬直と弛緩を繰り返す唇を笑みの形に持ち上げた。

ぎしりと食い締めた奥歯が鳴って、嘲る上弦の月が彼の口元にもほの白く浮かんだ。

..2014/9/5(金)  No.25








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