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最近話題の日大の会見で司会をしていたる同大学広報部の人物、元共同通信の記者なんだそうな。何といいますか…日大側の会見でも司会の人物の言う通り言い方を変えているだけで同じ質問ばかり…というのは確かにその通りではあるんですが、この司会者は元記者だったのなら、そういう記者の質問に対する対応に長けていそうなもんの筈なんですが…なんでああも開き直りというか、居直ったような横柄な態度をとっちゃうんでしょ。あの対応が結局火に油を注いだ訳でね、大学上層部も元記者という事で上手い躱し方を期待して司会に起用したという面はあると思うんですが、正面切って殴り合いしちゃうんだから大学側の目論見…目論見あっての起用だとしたら、ですが、完全に裏目だったね、と。
責めるのも責められて居直るのも報道に関わる、関わっていた者、という構図、前回記事の徹底した無配慮の件も踏まえて、日本のジャーナリズムの稚拙さが出ちゃった風に感じますわ。
ともあれ、日大の監督コーチの会見を見ていても分かるんですが、今回は大学が舞台ですが、構図とかは昨今頻発する企業の不祥事に近いものがある気がします。もっと言えば、財務省の一連の不祥事にも根っこが似ている気がします。
監督の意向で練習にすら参加させてもらえず追い詰められた部員が、判断能力を半ば失って監督の出した危険な指示に従ってしまったのが今回の事件なら、上層部から課せられた納期厳守だとかコスト削減といった指示が、末端で働く面々に全面的に時間的、労力的、金銭的にのしかかって立ち行かなくなり、本来やらなくてはならない事を省略したり無視…挙句の果てに責任を半ば負わされる様な形で過労死や自殺…と。
今回の件では前述した通り日大会見の司会者の暴走が注目されましたが、アレ、今や懐かしいミートホープの食肉偽装問題の際に社長が言ってのけたとされる言葉の数々を思い出したんですよ、私は。
そもそもがね、現在の日本の「上に立つ人物」という連中は、腹を切らずにシラを切るのが仕事。責任者とは責任を「とる」者ではなく、責任(は誰かに押し付ける)者になってしまってますよね。そして今回の件も、根っこが似ていると思う一連の企業の不祥事も、上に立つ者が正常に機能していなかったのが元凶な気がするんですわ。
そして今でこそ子供達の自主性を育てる云々…なんてよく教育分野で言われてはいますが、結局の所育った学生を収穫する企業が求めてるのは大抵は相も変わらず「組織に従順で真面目な人材」…悪い言い方をすれば「安月給やサービス残業にも文句言わず働く奴隷」な訳ですわ。求めている側がそんなだから、送り出す側、育てる側も口では自主性を育むなんて言うものの実情は追って知るべし、という奴でしょ。その相乗効果が今の日本、なんじゃないか?
例えば今回の件で言えばアメフト部の監督は学内の人事権を握っているの2の人物、との事。つまりそんな人物が今風な言い方をすれば「クラッシャー上司」とか「クラッシャー経営者」の様な形で君臨してしまったが故、大学を運営している組織そのものがその体質に染まっちゃってる事が問題な訳です。言わば、「ブラック企業」ならぬ「ブラック大学」で、そんな連中に従順な学生が従ってしまって、結局は自ら責任を負う形でアメフトを辞めると宣言した、という形。
続いていた企業の不正、不祥事とか過労死自殺といった件も、何がしかの形で末端からは悲鳴が上がっていた筈だと思うんですわ。でもその悲鳴がクラッシャー上司やクラッシャー経営者には聞こえなかったのか聞くつもりがなかったのか…という事なんだと思うんですわ。
確か日産だったかで検査の不備が指摘され、トップダウンで改善命令が出た直後も同じことやってた、というのは、正にコレだったんじゃない?この件、トップダウンの指示が末端まで浸透しないのは企業としての低をなしてない云々なんてニュースなんかでコメンテイターが批判してましたが、むしろコレはトップダウで下からの悲鳴をムリヤリ押しつぶしたから再発したのではないかと私などは思ったんですよ。
第二次大戦の時のジョークに、最強の軍隊はアメリカの将軍にドイツの参謀、日本の下士官と兵、なんてのがあるんですが、こうなると昔っから日本における「上に立つ役職の人物」はダメだったんだな、とも。むしろ現代においてはバブル崩壊以降は更に先鋭化しちゃってる気がしますね。嫌だ嫌だ。
No.302
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