2010/8/5(木)
匿名希望さんへ 2
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| | その後ちいさな出来事をきっかけに、自分の本当の喜びを探す旅が始まりました。 表面的なものにとらわれていた段階では、今まで抑えていた分 ハリケーンのように育ってしまった怒りや悲しみでもみくちゃにされました。 ベッドや床に転がって、繰り返し津波のようにやってくる「無に還る」という誘惑に耐えながら、 「自分とはなんなんだ」という究極の答えを探し続けていました。 考えれば物心ついてからの長い間、自分を騙し、我慢し続けてきたのですから、20年分の涙がたまっていたのだと思います。 ギリギリまでしがみついていたものを初めて疑い、もういいや・・・と手放した途端、ようやくかつて感じたことのないような清々しさを感じました。 もうありのまま生きてもいいんだ、という思いが、小さな灯りのように心に点ったのです。
私が手放したもの、それはこれだけは絶対勘弁して、というくらい、大事なものでした。 でも本当いうと、それは大事なものでもなんでもなくて、「これがなくなったら私は価値がなくなる」「ここにいられなくなる」と思い込んでいただけの、いわば仮面でした。 そんなことを吟味する気も起らないほど、それは私の一部として育ち切っていたのです。 今まで私に対する質問に答えていたのはこのペルソナでした。
人々への献身が、喜びに基づいたものであれば何も問題はありません。 むしろ、最終的に学びを終えた私たちは、自然とそんな状態に進化していくのだと思います。 けれどかつての私のように、自己価値にまつわる恐れが土台となった献身(自己犠牲)は、ただ魂を侵食していくだけです。 自分をないがしろにした結果の欲求不満は、私の場合虚無感へと発展していきました。 何をしても空しく、意味がなく、無駄であると感じる。 その状態を乗り越えられたのは、やはりいつも私を見守り支えてくれる夫やガイド達の助けと、「これで終わるはずがない」という、最終的に残ったひとつきりの信頼だったと思います。
私は退行催眠の先生に出会い、数時間かかるセッションを2度受け、色々と話を聞いてもらうことで自分を整理しはじめました。 遠い昔、別の場所から地球にやってきたときの光景と、そのときの純粋な気持ちを思い出しました。 そして仮面を外してまっさらになった私は、ここへ来て生まれて初めて、本当の自分を見つけたような感覚を味わったのです。 それは自己犠牲のパターンが生まれる以前の、生き生きした愛と喜びそのものでした。 いつか機会があればセッションの内容をシェアしたい気もしますが、ここでは省きます。
先生は、私の内面の恐れと抵抗がとても強いものであることを見抜いていました。 終わり際さりげなく、「こうなると、普通ここには来られません。よく頑張って来ましたね。。」とほめられたとき、子供のようにパッと嬉しくなったものです。
先生と、「結局私が心から好きなものはなんだったか」ということを話していて、やはりそれは何かを創ることなのだという結論に至りました。 なんにも考えなくてもスッと心が動くもの、理由もなくワクワクするもの。 「やっぱり私はものづくりが好きなんですよね・・・」とつぶやくと、先生がディズニーの「ティンカーベル」という映画を教えてくれました。 「以前子供と観に行ったんだけど、さっき、ああひとみさんはティンカーベルなんだと思ったの」 そう言われて興味を持ち、その日、DVDを借りて帰りました。 ディズニーらしい、陽気で楽しい映画でしたが、私の心のガラクタ整理を少なからず手伝ってくれました。
そういうわけで、私は自分の本当にやりたいことを発見し受け入れることができました。 ものづくりなら、今までだってしてたじゃないの、と思うひともいるでしょう。 でもそこにはいつも、様々な思いが付属していたのです。 自己価値の低さから、誰かの役に立ちたいとか、本当は認めてほしいとか、好きという思いだけで作ってはいけないとか、儲けてはいけないとか。 それらの思いは、本当は純粋に楽しいはずの制作や石との会話を、不自由に制限していました。 だから私の場合、「やりたいこと」そのものが変化したのではなく、動機が変化したという感じでしょう。 そしてヒーリング・・・というかセッションやセミナーは、私のスタイルではないと分かったのです。 単にしゃべることよりも作ることの方が、好きだからです。 そして「作りたい」という思いは、これまでとは全然違う表現へと繫がっていきました。
潜在意識の中にあるとうすうす感じていた「地球に献身したい」という思いは、認めたことで、単純に純粋な好意へと変わりました。 何度も何度も繰り返し悩まされた空しさは、まだ少し疲れとして残っていて、時々言いたいことがうまく伝わらなかったときなどに顔を出します。 でも以前のように、相手が受け取れないことに責任を感じることは、少なくなりました。 残念だな、もっとなんとかなったかな・・・とは思いますが。 それでも私の心は、少しすればまた切り替えられ、新しく見つけた温かい場所へ、すっと戻っていくのです。
私は人間が固い仮面の陰から、ふと素の表情を見せる瞬間が好きです。 それを見ると、地球はやっぱり大丈夫、と思えます。 いつか友達に、「なんだかんだ言って結局人間を信じているんじゃない」と呆れ気味に言われたことがありましたが、確かにそうなんだと思います。 そしてそれが嬉しいです。 できれば誰もが仮面をつけることなく、素の自分を見せる手助けがしたいと思いますが、そのために、まずは自分の仮面をひっぺがす必要があったのだと思います。
ヒーラーになろうかどうしようか迷っている人は、まずひとりで鏡を見てみると良いです。 ヒーリングの仕事のことを思う時、どんな顔をしていますか。 私のように、仮面をつけていることすら忘れているひとは、剥がすのがちょっと痛いかもしれません。 でも、生の命が呼吸をするには、必要なことです。 そしてそのプロセスを受け入れようと勇気を持ったときには、きっと一人ではなく、有形無形、さまざまな助けの手が差し伸べられると思います。
少しでも楽に答えが見つけられるよう、私も応援しています。
No.180 |
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