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旅に出た時、行かなくとも本など見て行きたいと思えば行きたいとダダをこねる我侭な紀行記。





 ■ 2005年5月11日(水)
    ++ 歯切れの悪い帰国   

 

いやはや、我輩帰国したものの今回の旅、今までで一番疲れる訪韓であった。
何処を歩いても「竹島」(韓国語にて独島)は、我領土の張り紙並び啓蒙写真。電視台広告では「竹島で使える携帯電話は韓国電話だけです。だから竹島は韓国領土」と訳の解からぬ理屈を展開している。
我輩の生徒にも、授業が始まるやいなや開口一番「先生 竹島の事をどう考えていますか?」との質問。
野球場でも、OBCLUB(敵製用語)他 ベサモ(熊軍好きから作った造語)という私設応援団から「竹島!!竹島!!どう考えているんだ!!」の質問攻撃。
我輩、国家間の問題や思想で友人を無くしたくないので(心底怒っているが)「国際法廷が決めることだ」と言ってやった。相手は腑に落ちぬ顔をしていたが・・・
同じ野球愛好家として政のはなしなどするのは間違えだと考えるし、そうでなければ国際総合体育大会なんぞ出来んぞと思っていた。
我、日本国は武力にて竹島を島根県に編入などしていない国際法の順序を踏んで編入している。
武力によって実効支配しているのは韓国だということを学校で教えるわけでもなく、思い込みというか洗脳にうんざりである。
街中で日本語を使うのも微妙であった。

No.8




 ■ 2005年5月3日(火)
    ++ 北朝鮮   

 

何を思ったか25才ぐらいの時に友人といずれ無くなる国だからという理由で北朝鮮に行った。
北京でビザを取得し高麗航空にて平譲に入ったわけであるが、今まで行った社会主義国とは感じが違う。
以前に行った社会主義体制の国と言えばベトナムやキューバで社会主義国に持つ先入観と違う人柄ばかり目の当たりにしていたからだろうか。入国審査官の作業の遅さと無愛想な顔は両国とも変わらなかったが。
入国審査を通過し入国した私と友人を日本で手配しておいたガイドが向かえてくれた。あまりにと言うか日本人と差ほど変わらない流暢な日本語、「ガイドさん日本出身?」という今ならシャレにもならん言葉が北朝鮮での第一声だった。
とにかく腹が減っていた私と友人は何か食べさせて欲しいと頼んだわけであるが国営の食堂なのだろうか冷麺屋に連れて行ってもらった。流石に旨い、今の報道など見ているとそんな気分にはならなかっただろうが友人は、お代わりをしていた。
腹も充たされたことなので、街を散策していたのだが外国人と見ると皆が微笑む、私はどちらかというと半島顔で飛行機の中でも韓国の街中でも日本語で話し掛けられた事が無い。そんな私を見て「何故に外国人だとわかるんだ?」と心の中で感じていた。
交差点では、女性警官だろうかまるで機械の様に寸分変わらぬ動きを繰り返している。そこに社会主義を感じたりもしたのであるが人々の微笑みは変わらない。
金 日成の銅像の前に着いた。大きいというよりデカイ、像の前で何組もの家族連れが写真をとっている。我々も写真撮影を奨められたので写真を撮ろうとしたのだが、そこで事が起こった。笛の音 駆け寄る公安。何事なのかと思うと我々が撮影のポーズとしてピースをしたのがダメだったらしい。あくまで直立不動で撮影しなければ無礼だという、仕方なく学校のクラス写真を撮るが如く顔を強張らせながら写真を撮った。
写真撮影の一件で疲れた私と友人はとりあえずホテルに戻ることにしたが、ホテルに着いて私が気付いたのだが鍵が二つ付いている。一つは中からも開き閉めの出来る鍵、もう一つは外からしか開け閉めが出来ない鍵である。確認はしていないので決めつけはできないが、そんな鍵が付いていた。
窓からは、平譲市内と主体記念塔が見える。当時は、北朝鮮と言ったところで今ほどクローズアップされてなかったので他の国となんら変わらないとしか思えなかったし平譲も首都らしい首都だと窓の外を眺め感じていた。
夕刻、食事の前にサーカスを見に行った。ロシアや中国のサーカスもそうだが北朝鮮のサーカスも「こいつらオリンピックでたら金メダルだろ」みたいな見事な演技、道化師もちゃんといて笑いのツボを押さえてくる。そりゃボリショイサーカスが日本公演に来ると皆見にいくわなと思った。
さぁ夕食だ、まず目に入ったのがおそらく東アジアでは見たことの無いような美女。レストランのウエイトレスなのだが当時は何故ここだけに恐ろしいほどの美女が揃っているのか不思議だった。航空会社が、客室乗務員を顔で選考するという話を聞いたことがある私は、その程度のことがおこなわれ目の前にいる美女はここで働いているのだろうな程度に思っていた。
食事が運ばれてくると同時に伝統芸能しかり歌謡ショーが始まる。私が日本人というのが知らされていたのだろう日本の歌も何曲か唄われた。マイクを向けられ私も唄わされかけたが先天的音痴の私は顔を赤らめて断るのがやっとだったが、酔っていた友人は私と同じ歳にもかかわらず「港町13番地」を熱唱していた。運ばれてくる料理、韓国で見たことというか食べたことのある料理がほとんどだったが美味しく感じる。味を聞かれ「いやいや最高に旨いよ」みたいな事を言ったと思うのだが、「私が運んでくる料理は特別に美味しいのですよ」という返答が返ってきたので私の顔は真っ赤になり変な汗が出てしかたなかった。
翌日、板門店に行った。なんだなんだ、以前韓国側から入った時とまったく様子が違う。韓国から入る場合、服装や行動や飲酒の細かい制約があり時間も決められ窮屈な世界最長の休戦ライン見学となるのだが(緊急事態で命を落としても自己責任ですという誓約書まで書かされる)、ところが北から入る場合なんの制約もない自由の国よりはるかに自由なのである。まぁやってはならんことは軍事境界線を越えてはならんことだけである。これも一種の宣伝活動なのかと考えてはいたが、じっくりと見学をするのであれば北からの見学だろうか。
あの国の上っ面しか見ていないのには違いないだろうが、あえて見たくないものもあると今になって思う。と言って今ある現実から目を反らせない状況が実際に起こっている。
私は馬鹿だが、もっと馬鹿になりたい。


No.7




 ■ 2005年2月6日(日)
    ++ はじめての東京   

 

私が、はじめて東京に行ったのは遅く高校3年の時だった。
京都駅から新快速に乗って米原で乗り換え、各駅停車で大垣まで行って東京行きの普通電車に乗って上京した。
おそろしく朝早く着いたので(知っていたけど)、なんとなく山手線に乗って渋谷まで行った。しかし、これといって店も開いていないのでわけもわからず地下に入った。
公衆電話とコインロッカーのあった場所だろうか、そこに座り込んでいるとパーカーで顔を完全に隠し挙動不信の男が現れた。「なにかされるのか?」心の中で思ってポケットの中で拳を握ったわけなのであるが、その男は公衆電話に10円を入れ適当なのか知っている番号なのかダイヤルし受話器を電話機の上に置き電話の横に座り込んだ「ヤバイ奴、どっか行こ」と思い立ち上がった時、男のほうからシンナーの臭いがした。パーカーの中をそれとなく覗いてみるとビニール袋が見えている。東京って怖い所だなと思ったのは、その時だった。
そんな変な野郎と2人で地下にいる理由もないし友達と思われてもいやなので地上にあがりハチ公の前で煙草を吹かしていたら家出少女らしき女に道を聞かれたので「俺も京都から来たばっかりやからわからへんわ」というと、同族と思われたのか朝飯を食べに行こうと誘われた。私も、昨夜から何も食べていない二人で何処かも解からず歩いていると吉野家があったので2人で飯を食べた。
父親が酒びたりで母親が失踪し、このままでは殺されると思い家出したということだった。同情こそしなかったが何となく東北訛りが可愛く思え、自分も何処にいくか決めていなかったので、とりあえず2人で東京見物をすることにした。
しかし、まだ観光するには早い時間、山手線に2人で乗り疲れていたのか二人とも寝入ってしまった。2時間ぐらい寝ていたのだろうか朝のラッシュで車内はギュウギュウ詰めだった。何処に行くか決めなければならない、蜘蛛の巣のような電車の地図に酔いそうになりかけながらも浜松町で降りることにした。そして、あるいて東京タワーまで行き展望台で二人とも、はじめてここは東京なんだと実感した。
その後、浅草や上野動物園に行って、ありきたりな東京観光をした。
その日の夜の新幹線で私は帰る予定であったので「俺、もう帰らなあかんねん」というと東京駅までついて来た。別れ際に「やっぱり自分も岩手に帰る」と言ったので、住所と電話番号の交換をした(その頃まだ携帯電話なんて金持ちのもつものだったので加入電話)。
そして、改札で別れ彼女がどうしたのかは知らないが、次の日に電話をしたら本当に帰っていたので安心した。
今は、その時に交換した電話番号に電話しても「現在使われておりません」のアナウンス。向こうからも3年程たってからは電話もかかってこなくなった。
浅草寺で、必要以上に拝んでいたのが印象的だった。
幸せに暮らしてくれていたらよいのだが。

No.6




 ■ 2005年2月3日(木)
    ++ 雪見酒   

 

昨日、雪が積もっていたわけであるが、こんな時こそ露天風呂につかり日本酒を飲みながら雪景色を楽しみたいものである。
もう何年前になるだろうか、共同の露天風呂のある温泉地に宿の予約をいれた。
そして、その旅行の二日前に雪が降ったので温泉地が山奥にあるため道路状況を宿に問い合わせるとチェーンが必要だということだった。
「これは、風呂につかり雪見酒を楽しめる」と喜んでいた。しかし、次の日から天気のいいこといいこと雲一つ無い好天である。
当日、その温泉地に向かい車を走らせていたのだが雪も無くなっておりチェーンを巻く必要もなかった。天候のことなので誰も責められない。運が悪かったなと自分に言い聞かせていた。最初に、そういう想定はしていなかったので自分が悪いのかもしれない。
しかし、露天風呂につかればそんな考えは何処かに行ってしまった。ワンカップを片手に冬なので空気が澱んでいない星の美しくみえる空をみあげながら無心になっていた。

No.5




 ■ 2005年2月2日(水)
    ++ 鳴かず飛ばず   

 

今の仕事をする前、カメラマンをやっていた。報道カメラマンであったが指示された現場で撮影するのが嫌になりフリーになり紀行をテーマにした写真ばかり撮る写真家になった。(偉そうかな)
色々、山奥の温泉に行ったり地元の人しか知らないような本当に隠された温泉を二度と来ないし場所も明かさないとの約束をして撮影などをしていた。たまには、女友達に頼み込んでモデルになってもらい妙に凝ってるのか凝ってないのか解からない写真を撮っていた。
私は、人工的な光が嫌いで自然な光を重視した写真ばかり撮っていた。そのほうが現場の雰囲気がより伝わると思っているからである。
実際、本を見て行ってみたら「ありゃ」と思われたことはないだろうか?
しかし、私のような写真ばかり撮っていて本に載せろといったところで採用されるわけもないし、リアリティーを追求したら先方からも注文がでる。
いろんな所に出かけ紀行文を書き写真を撮影してきたが商業に走るならば自我を殺さねばならんのだなと思う。
今は、旅に出ても自然に趣味の領域で自然にシャッターを切っている。

No.4



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No. Pass 
Pass

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