夏の休暇が終わりかけていた。秋祭りの日が近付いている。リーケの海賊船スキンファクシは、毎年秋祭りの二日後に船出する。リーケで生まれ育ったミカエルにとって、これまで秋祭りは単なる楽しみのひとつにすぎなかった。秋祭りの日に、感傷的になる女たちの気持ちが理解できたことは一度もなかった。秋祭りの後に海賊船が船出し、女と子供はリーケに置き去りになる。だからどうだというのだ。子供の頃は父親と九ヵ月間逢えないことを当たり前のように思ってたし、海賊になった後も島に残る女たちと逢えないことで、特別な感慨を抱いたことはなかった。 だが今年の夏、ミカエルは初めて秋祭りに対して、別の感情を抱くことになった。インゲレーヴがすべての原因だった。ミカエルはこの夏、新しく自分の女になった砂色の髪のインゲを沁々眺めた後で、思わず溜息を漏らした。 「どうしたの?ミカエル」 インゲは危なっかしい手つきでジャガ芋の皮を剥いていたが、ミカエルの溜息を聞きつけたらしく、手を止めて彼に目を向けた。 「おまえが皮を剥いた後じゃ、そいつはもとの半分の大きさも残らないな」 それを聞いて、インゲは優しく彼に微笑みかけた。 「私の分を上げるわ。そうしたらあなたは丸ごとひとつ食べられるでしょう?」 「おまえがそれ以上痩せてしまったら、俺は箒と間違えて、おまえにキスするのを忘れてしまうかもしれない」 「私、ここへ来てから随分太ったわ」 「痩せたよ」 「昨夜、それを確かめようとして、私をじっと見つめていたの?」 ミカエルは自分の赤い髭が、頬の赤さを隠してくれるよう祈った。インゲは時々こうした明け透けな言葉で、彼を面食らわせる。無論インゲが慎ましくないというわけではない。彼女は可憐で、優しく、内気な女で…ミカエルは首を振った。その上見掛け以上に大胆だった。 「トニがいなくてよかったよ」 彼が戸口の方を見ながら、呟いくように言った。 島の人口は年々減少していたので、ひとつの家に家族がぎゅうぎゅう詰めにされることは余りなくなった。だが余所者であるヴァーサとインゲに家はなく、アースゲルズとソルゲルズの世話になっている。つまりミカエルは自分の母親と一緒に暮らしている女のところへ通うと言う、気まずい状況に置かれてしまった。だが初めて自分の女を持ったトニは、母親のアースの存在などまるで気にならないようにヴァーサの元へ入り浸っていた。 「どうしてトニと一緒に北の島の狩りに参加しなかったの?」 インゲが尋ねたが、ミカエルは黙ったきり返事をしなかった。今日は口うるさい母親もその姉も、何かにつけて彼をからかうトニの姉たちも家にいない。このチャンスに、おまえと二人きりになりたかったから…だがリーケで生まれ育った海賊のミカエルには、その一言が言えないのだ。彼は女に優しくすることに慣れてなかった。 しばらくしてヴァーサが仕事場から戻ってきた。ヴァーサとインゲは冬の間の食料を保存するという、大切な仕事を割り振られているが、今日はインゲが食事を作る番だったので、一足先に戻っていた。島の女は誰でも働かなければならない。働きながら家事をする。だがヴァーサとインゲの姉妹はまだ島の生活に慣れることが出来ず、二人で一人前と見做され、色々な面で特別待遇を与えられていた。 「お帰りなさい、ヴァーサ」 「ただいま」 ヴァーサが疲れた声で言った。インゲも姉と同じくらい疲れているように見える。二人はふた月前まで、生まれてからただの一度も労働をしたことがない。スウェーデンの貴族の家に生まれたからだ。 ヴァーサが倒れるように、台所の椅子に座り込んだ。ミカエルの胸に同情だけでなく、深い後悔が生まれる。もしも彼に出会わなかったら、ヴァーサもインゲも台所の煤に塗れることはなかった。畑仕事でか弱い腕を酷使することもなかった。ヴァーサの髪はぼさぼさだ。彼女はブラシも持っていない。たとえ持っていたとしても、それを使うだけの気力は残っていないように見えた。 「トニももうじき戻ってくるよ」 ミカエルが感情を押し隠した低い声で言う。ヴァーサが物憂げに彼に視線を向けた。 「ミカエル。あなたは正直な人間だわ。だからその声の調子で、思っていることが全部わかってしまうのよ」 彼が眉を寄せた。 「あなたは私に同情してるんだわ。恐らくインゲにも。この島に連れてこなければよかったと思ってるのね」 ミカエルの濃い青の瞳に動揺が走った。 「確かに畑仕事は辛いわ。料理の腕だってちっとも上がらないわ。島の女が軽々と運ぶ荷物を、私は持ち上げることさえ出来ないわ。女たちは私に呆れてるし、ひどい厄介者だと思ってるわ。だけどそのことでとやかく言われたことは一度もないの。私とインゲは半人前だし、二人でなんとか一人分の仕事を熟せば、それを認めてくれるの」 「おふくろがガミガミ言う様子を聞いてたら…」 「止めてよ、ミカエル。あなたのお母様は、私たちをなんとか一人前の女にしようと手を貸してくださっているだけだわ」 ミカエルが肩を竦めた。ヴァーサは疲れた顔に笑みを浮かべようと努力していた。インゲは黙ってジャガ芋の皮を剥いていた。 「この島の労働が私たちに向かないんじゃないかと心配する前に、スウェーデンで暮らしている私たちのことを考えてみて。私とインゲを待っていた生活がどんなか、あなただって知ってるでしょう?小綺麗な家、豪華な家具、仕立てたばかりのローブ、それを飾る宝石、決まった時間に出てくる食事、身の回りの世話をしてくれる小間使い…。そして月に何回か、気紛に訪れてくるその家の主人のことを」 ミカエルが髭をぼりぼりと掻き毟った。他にすることがなかったからだ。 「トニと、それにあなたの愛情を知った後で、私たちが本気でそういう生活に憧れると思ってるの?ミカエル」 「その男は、いい奴だったかもしれない」 ミカエルが唸るように言った。
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