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▼ 農業協同組合発祥之地
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| あらや ++ ..2010/06/21(月) 19:58 No.199 |
| | 虻田郡京極町の旧北岡小学校校門跡地(現北岡バス停)にひっそりと建つ「発祥の地」碑。 http://www.swan2001.jp/image10/apr2722.jpg
発祥の地碑 京極町農業協同組合が昭和43年10月30日、字北岡の国道ぶち(北岡小学校入口)に建立。表面に京極町農業協同組合発祥之地・裏面に
大正八年十一月この地に東倶知安軽川信用購買販売利用組合が設立せらる。これ本町農業協同組合の前身にして本農協二十周年記念行事の一環として組合員の総意により、これを碑文に止め永く記念するものである。 昭和四十三年四月七日 京極町農業協同組合組合長 理事 中村 盛雄
と記入している。碑の総高120p、幅1m。碑文はテラゾー盤に刻みコンクリート台にはめこみでモダンなデザインである。 (京極町史/第12節 京極町の碑) |
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▼ 産業組合の誕生
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| あらや ++ ..2010/06/21(月) 19:59 No.200 |
| | 9 産業組合の誕生 大正7年度後志支庁概況には大正6年末の後志管内産業組合一覧表が出ているが、その中に「東倶知安購買販売組合」は大正2年2月5日の設立で管内第14番目の組合となっている。また「カシプニ信用購買販売組合」は大正4年12月22日設立で、この2組合の組合数その他は次のようにしるしている。 組合員 出資 積立金 購買額 販売額 東倶知安購買販売組合 48人 2,175円 ― 12,990円 32,916円 カシプニ信用購買販売組合 45人 2,100円 318円 4,013円 ― 大正11年版東倶知安村勢一覧には次の4組合が記載されている。 有限責任 北カシプニ購買販売組合 28人 〃 カシプニ信用購買販売組合 45人 〃 東倶知安購買販売組合 51人 〃 軽川信用購買販売組合 50人 組合の名称からみると北カシプニと東倶知安の両組合は信用事業を行なっていなかったことになる。 (京極町史/第4章 大正期の東倶知安/9 産業組合の誕生) |
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▼ 東倶知安購買販売組合
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| あらや ++ ..2010/06/21(月) 20:01 No.201 |
| | 東倶知安購買販売組合 その設立の動機や組合区域などはよくわからないが、多くの産業組合は農民の組織であるのに、此の組合は市街の人が中心であった。組合長は初代日下杉松が当選し、2代目柳田登次郎、3代目畑川角太郎、4代目進藤重次郎と続いているが、京極村史には「事業を始めて幾何もなくして経営不振に陥り遂に大正10年11月30日解散するに至った」と記載している。 (同書より) |
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▼ カシプニ信用購買販売組合
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| あらや ++ ..2010/06/21(月) 20:03 No.202 |
| | カシプニ信用購買販売組合 この組合は大正4年の創設で字カシプニー円を区域とし、肥料、農具の共同購入と信用事業を目的とし、勝世徳太郎、加藤仁一郎、片山助一郎、紺谷友吉らにより、南2線74番地野村愛市郎方を事務所として開設した。そして組合員の利便を図り、よく実績を挙げたが設立年限の10年の期間満了とともに大正14年12月に解散した。 歴代の組合長 初代野村愛一郎、2代小倉幸市郎、3代加藤仁一郎 (同書より) |
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▼ 北力シプニ信用購買販売組合
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| あらや ++ ..2010/06/21(月) 20:05 No.203 |
| | 北力シプニ信用購買販売組合 この組合は大正8年8月に設立したが、組合区域は字カシプニー円及ペーペナイの一部となっている。この区域は後の脇方地区であって、まだ「脇方」は駅名だけで地名になっていなかったので北カシプニと名付けたものである。 組合員数は72名、出資金は186口、5,550円。設立の動機は「開拓事業の進展に伴い金融機関と産業必要物資の購買、生産物の販売、利用の目的」で、阿部熊七や阿部長之助らの発起による。 大正8年9月8日設立認可とともに、脇方駅前に事務所を設置し、貯金、日用品と農業用品の購買事業を始めた。 大正11年軍用燕麦の納入を開始、販売事業の第一として541俵納入した。 大正15年2月25日、名称を有限責任脇方信用購買販売利用組合と改称。同年8月42坪の農業倉庫を脇方駅構内の一部払い下げを受けまた日本製鋼所用地の一部借用し計120坪余の敷地内に建設した。この工費1万2千円、補助金9千円、組合員奉仕延200人と記録している。 この組合は昭和12年、東倶知安村信用購買販売利用組合に吸収合併された。 歴代組合長 初代阿部熊七、2代小野喜六、3代堀慶太郎、4代阿部熊七 (同書より) |
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▼ 軽川信用購買販売利用組合
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| あらや ++ ..2010/06/21(月) 20:07 No.204 |
| | 全村産業組合の基となった軽川信用購買販売利用組合 現在の京極町農業協同組合の前身である有限責任東倶知安信用購買販売利用組合は、軽川の組合がその基をなしたもので、本町の産業経済の発展と農民生活の安定に寄与した実績は大きい。 この組合の歩みについては昭和6年6月に作製した「組合誌」があるので、その一部を抄記する。この組合誌は第1章軽川組合時代が4節まで、第2章拡張準備時代は9節まで、20ぺ一ジほどの冊子である。 (同書より) |
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▼ 組合誌より@
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| あらや ++ ..2010/06/21(月) 20:09 No.205 |
| | 「 設立の事情及経過 (イ)産業及民情、(ロ)設立前の金融状態…当時尚新開地の通幣たる「仕送り」制度によるもの少からず、春季倶知安町の商人より肥料米噌の貸付を受け、秋季に至り農産物を以て債務を果す事とするが故に売買共に損失を甘受せざるを得ざるもの尠からざる状態なりき、而も一面無肥耕作の余弊は収量年毎に減じ、穀価亦大戦当時を夢みるべくもあらず農家生活の窮乏漸次甚しからんとする傾向あるを看取し、有志等是が対策として産業組合の設立を企図するに至りしは豆成金の夢漸く冷かならんとする大正8年の春なお浅き3月なりき。 (ハ)設立の準備組合設立の発端は、木下喜一郎氏当時第17区長(現第20区)たりし本間敬三方を訪い同志相当の金額を出し合い、過燐酸肥料の共同購入をなさば価格に於て利あるのみならず、同年秋開通すへき京極線寒別駅にて受取り得べく、倶知安より運搬するに比し運賃に於ても亦多大の利便あるべしと言うにありしが、是れに信用組合を兼営して相互の金融に便し一方勤倹貯蓄の美風を作興せんとの議熟し、翌日長老故谷安太氏に助力を求めし所、快諾激励の辞をよせられしかば勇気頓に加わり、更に部落内の有力者故細田友市、故大磯茂三郎、河村唯平、川原宇太郎、斎藤勘之丞等諸氏の賛同と種々の援助を得て準備は着々進捗せり。 次いで翌日当時混沌の域を脱せざりし組合界に嶄然頭角を現し居たる倶知安信用組合長伊藤助治を其の私宅に訪い、定款法規等に就き懇切なる指導を受け、尚、支庁産業組合係湯ノ川孝作氏を紹介せられたるを以て同氏の指示を受け定款の作製に着手せり。(中略) |
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▼ 組合誌よりA
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| あらや ++ ..2010/06/21(月) 20:10 No.206 |
| | 本組合は(1)、1口の金額を最高50円とし、組合員の持分を平均5口とし、1か年の払込を最小金5円とし漸次資金の充実を期すること。(2)、当初の区域を軽川と限定し、逐次拡大すること。(3)、事務所を組合長宅に置き一切の事務を組合長処理し且つ之を無報酬とすること。(4)、当初数か年は信用事業を主とし、購買品は肥料のみとし、販売事業として軍用燕麦の納入をなし資金回収に充て経験を得るに従い品目を増加し事業を拡張すること。 等の数項を発表して4月3日小学校に設立者の会合を催せし処、集まるもの26名申込み口数45口を得たり。氏名次の如し 2口 岩佐 広太郎 2口 河村 唯平 1口 福家 亮一 2口 尾池 武吉 2口 大磯 茂三郎 1口 高橋 与三次 1口 武市 幸太郎 1口 金原 源二郎 2口 斎藤 勘之丞 1口 古屋 信一 1口 伊賀 榊 1口 横井 金四郎 1口 三木 甚平 3口 藤本 庄太郎 2口 川原 宇太郎 5口 本間 敬三 5口 谷 安太 2口 細田 友一 1口 倉 与太郎 2口 木下 喜市郎 1口 粥川 義一 1口 木下 仙助 2口 阿部 辰太郎 1口 青木 益蔵 1口 福家 市次郎 1口 水岡 治助
設立 前記の諸氏を設立者として同月24日設立認可申請を支庁に差出し同年11月22日許可の指令を得、第1回の払込みをなすと共に新加入者を勧誘せし処総組合員70名、出資317口に達するの盛況を見、私かに会心の笑をもらして翌年度の事業の準備にかかれり。 |
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▼ 組合誌よりB
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| あらや ++ ..2010/06/21(月) 20:12 No.207 |
| | 第2節創業当初の試錬……翌大正9年設立日尚浅く幹部は経営の経験絶無なるに組合員も亦末だ組合の何たるを解するもの少く加うるに資金貧弱にしてさなきだに経営困難の年なりしに農業所要物資何れも空前の高騰を示し試みに今当時の記憶をたどりて主なる物資の価格を挙ぐれば 過燐酸 15%10貫入 5円〜6円、白米 1俵20円〜25円、玉砂糖 1斤(200匁)40銭、軍手 1双25銭、木綿縞 1反2円50銭 斯の如き市況なれば組合員の所要肥料を現金買すること思いもよらず……(中略)……当時の窮状寧ろ憐むべきものありしなり。 かくて、自己資金に4倍する9,000円近き債務を負い幹部は私財を以て之を保証する等散々なる苦心を払いたり。然るに天何ぞ農民を苦しむるの甚しき、その秋収穫期に入るや穀価空然の暴落を見たり之を前年に比較するに8年度大福及白丸、14〜15円が9年度5円〜6円に、小豆10円が5円に、玉蜀黍5円が2円50銭。斯くの如き状態なりしかば、到る処に破産倒産続出し、夜逃げをなすものすらあり、甚だしきは1日に2組合員逃亡せしとの報に接したることすらあり、(中略)組合員の減ずること20、出資口数170の減少を来せるを見るも打撃の如何に甚だしかりしかを想察するに難からざるべし。 大要、以上の様に創立当初は苦難の連続であったが、大正13年には上山梨部落から新加入者20名を迎えて陣容を一新した。組合員数は62名、322口、純財産20,766円」と記載している。 |
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▼ 全村組合へ
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| あらや ++ ..2010/06/21(月) 20:14 No.208 |
| | こうして種々の経験を重ねながら昭和3年度に第1次拡張をやり区域を役場以西、下目名の一部、ペーペナイ一円とし利用事業も加えた。さらに昭和6年第2次拡張を実現するまでに成長し、事務所を市街に移し、脇方地区を除く全村を区域とする中枢組合に発展した。そして昭和12年には懸案の全村組合となったのである。 農村不況や冷害凶作を乗り越え、人の和を得て、ここまで発展したことは、人望のあるりっばな人物が組合を背負ってくれた事、理想をめざす同志の固い結合の成果である。 拡張準備時代の資金運用状態としての次の表が上記組合誌に掲載されている。
組合員数 自己資金 借入金 自己資金に対する比率 昭和3年度 135人 34,963円 8,000円 24% 昭和4年度 153人 36,757円 7,337円 21% 昭和5年度 161人 36,648円 16,721円 45% 昭和6年度 203人 39,395円 28,098円 70% 昭和7年度 400人 60,000円 45,374円 74% 但し6年度は6月現在、7年度は予想
○ 歴代組合長 本間敬三、河村唯平、谷安太、谷芳美 ○ 昭和6年4月役職員 組合長理事 谷芳美 理事 塩野道太郎、高橋与三次、坂本太治郎、福永友一 監事 荒岡為一、川原宇太郎 顧問監事 本間敬三 書記 福原林吉、田村民安 (京極町史/第4章 大正期の東倶知安/9 産業組合の誕生) |
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▼ 本間敬三
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| あらや ++ ..2010/06/21(月) 20:16 No.209 |
| | 本間敬三の苦労 初代組合長本間敬三の苦労は、ひとかたならぬものがあった。細田熊吉の手記には本間の苦労がよく書かれている。たとえば、設立の手続なども4月に出したのが、ようやく11月に認可になっているが、その間の本間は再三、再四、支庁へ行ったり、道庁へ出向いてるが、費用はすべて自費だった。本間は人の顔さえ見れば産業組合の必要を説き設立病にとりつかれたと思う程の熱心さであった。大6年の畑作収穫後は毎日同志勧誘に出歩き「冬の6尺の雪の夜、私は行先不明の本間さんを迎えに出た事も数えきれない程だった。また本間さんは、他家へ泊ると迷惑をかけるからと泊らぬ事にしていた。どうしても泊めてもらう時は、自分の布団を背負って出かける事もあり、交通不便の当時、ツマゴ、赤毛布、脚はん、モンペ姿でした。」と書いている。東奔西走、そして人の和を説いた本間は傑出した人物であった。 (同書より) |
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▼ 大農発祥之地?
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| あらや ++ ..2010/06/21(月) 20:18 No.210 |
| | 京極町史「9.産業組合の誕生」は上の本間敬三の話で終わるのですが、その次の章は、なんと鈴木重慶の登場なんです。このまま続けて「10.鈴木農場」に入って行こうかな…とも一瞬思ったのですが、ちょっとスレッドが長くなりすぎますね。季節がうまく会ったので、スワン社資料室の六月の方で扱おうと考えています。 |
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