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No.190 への返信フォームです。

▼ 樽新の坂牛君
  あらや   ++ ..2010/04/25(日) 07:26  No.190
   今日は急しい日であつた。明日の紙上に附録とすべき釧路発達状態一覧の統計を編んだ。午前中に視察隊の一行が来て、一緒に社の前で撮影した。緑子は一行を案内して安田の炭山などへ行く、自分は午後四時漸々斧を揮つて編輯を締切つた。(中略)
 七時沢田君と共に、有志発起の視察隊歓迎会に望む。会場は喜望楼。来会者約八十名に上り、仲々盛会であつた。樽新の坂牛君、タイムスの小川君、道庁属にして詩人夜雨君の兄なる横瀬君らに逢ふ。市ちやんと鶤寅の小奴は仲々の大モテで、随分と面白い演劇もあつた。帰りに一行の宿なる三浦屋を訪ねて、小川黙淵君と築港問題について談る。
(明治四十一年日誌/二月二十一日)

 
▼ 啄木日記(明治四十四年)
  あらや   ++ ..2010/04/25(日) 19:13  No.191
  札幌区、北一、西十三ノ一  大島経男○△
石狩、空知郡北村第二区、北村農牧場事務所  北村智恵
札幌区北七、西四ノ一    坂牛祐直○△
小樽区、真栄町三九、白鳥方 桜庭ちか
釧路町天寧         吉野章三○△
函館区、青柳町三六     岩崎正○
小樽、港町小樽新聞社内   本田龍(荊南)
小樽区、花園町十三、    澤田信太郎○△
小樽区、南浜町六ノ一 旭川歩兵二十六レンタイ第二中隊第五班 高田治作 △
小樽区南浜町、濱名方    藤田武治○△
小樽区花園町十四、     佐田庸則○△
函館区東浜町三二      斉藤哲郎○
札幌区北八、西五ノ一    向井永太郎○△
小樽区稲穂町畑十四、    上田重良○△
室蘭町札幌通山中事む所   岩本實 △  坪仁 △
(「明治四十四年当用日記補遺/住所人名録」より北海道関係部分)

 
▼ 鉄道冬期操業視察隊
  あらや   ++ ..2010/04/25(日) 19:14  No.192
   操業視察隊は、北海道鉄道管理局によって組織され、名簿に見られるように、道庁役人・函館・札幌・小樽の主要三都市の商工会議所役員の他、P・R用として新聞雑誌の記者を同行させていた。視察の目的は、一行に道内の幹線全部を一巡して鉄道側の苦心の実況を見てもらおうということであった。
 したがって、主催は鉄道当局であり、報道関係者もみな招待されていた。
(小林芳弘「啄木と釧路の芸妓たち」)

鉄道操業視察 近時鉄道貨物の停滞甚だしく一般世人の攻撃せらるもところなりしが其局に当る者亦大に茲に意を注ぎ其の原因等を調査し計漸く成りたるや今回本道鉄道官理局長野村氏は本道各地の新聞社より記者一名つゝを招待し本道鉄道操業の状況を巡覧せしむると云ふ其の巡覧日割等は左の如し、第一日札幌発夕張着第二日夕張発室蘭着第三日室蘭発旭川着第四日旭川発釧路着第五日釧路滞在第六日釧路発旭川着第七日旭川発札幌着第八日札幌発函館着第九日函館滞在第十日函館発札幌着(第一日に二月十七日して全廿六日て終了の筈なり)
(釧路新聞 明治四十一年二月十一日)

道庁属市川祐雄氏、同横瀬農夫也氏、札幌商業会議所議員藤沢栄蔵氏、小樽商業会議所副会頭佐々木静二氏、函館商業会議所書記長大石三津雄氏、北海タイムス小川忠之助氏、北海道新聞小倉白洋氏、北世界外川水哉氏、小樽新聞坂牛祐直氏、小樽日報沢田信太郎氏、北海旭新聞森屋献六氏、上川新聞船木吉民、右の外東道役として北海道鉄道管理局長野村氏、運輸係長中里氏、車輔係長鷲島氏の三氏も同道せられたる
(釧路新聞 明治四十一年二月二十二日)

※ 釧路新聞記事は、小林芳弘著「啄木と釧路の芸妓たち」からの孫引きです。

 
▼ 坂牛天民
  あらや   ++ ..2010/04/26(月) 17:02  No.193
  ◎坂牛祐直 盛岡の生まれ。ペンネームは“天民”。専修学校で経済学を修めたあと、日刊岩手公報の編集長として活躍。次いで盛岡市制施行とともに市役所庶務課長に就任、八年間の市会議員の生活から同郷の先輩・上田重良の経営する小樽新聞に入り、日露戦争の従軍記者をはじめ札幌支社長などを務めた。真面目な品格ある大記者として通っていた。
(功刀真一「北海道樺太の新聞雑誌」)

 
▼ 小樽新聞@
  あらや   ++ ..2010/04/26(月) 17:05  No.194
   小樽で誕生した北門新報が札幌に進出したのとは逆に、札幌に生まれて小樽に移った新聞が大成した。それがやがて北海タイムスと長く競り合った「小樽新聞」である。
 明治二十六(一八九三)年五月八日、阿由葉宗三郎によって札幌に発刊された「北海民燈」は、はじめ月一回発行、菊判四十ページの雑誌であったが、この年十一月一日の発行から週二回のタブロイド判四ページの新聞に改めた。阿由葉は北海道毎日新聞の社員であった関係から、阿部宇之八の援助により印刷を北海道毎日新聞の附属工場で行なっていた。そのころの小樽は前述のようにせっかく誕生した北門新報が札幌に移って新聞空白の状態にあった。ここに着目した阿部は阿由葉にすすめて北海民燈を小樽に移した。それは創刊の翌年六月のことである。このとき民燈の経営に当たったのは北海道毎日新聞の編集助手をかねながら同紙の編集長であった上田重良であった。このほか北海道毎日新聞から会計係の矢上以久三郎も出向した。当時の北海民燈は負債をひきうけていた阿部の所有となっていたが、上田はこれを経営しやがて小樽の山田吉兵衛(北海新聞の創立者)、渡辺兵四郎、高橋直治ら有力者の協力を得て集めた資金一千円を投入、同年十一月「小樽新聞」と改題のうえ日刊とした。これにより経営が好転したので上田は阿部から一切の権利をゆずりうけて小樽新聞を自立させ、その育成をはかった。

 上田は岩手県盛岡の出身。東京専門学校卒業後、東京で新聞界に入り、「大分新聞」の発刊にさいし主筆として招かれ、のち北海道毎日新聞に転じたものである。
(「北海道新聞三十年史」より)

※ 以下、「北海道新聞三十年史」からの引用を続けます。直接に「坂牛祐直(天民)」に関する記述があるわけではありませんが、「小樽新聞」の消長は天民研究の際の必須事項でありますから…

 
▼ 小樽新聞Aa
  あらや   ++ ..2010/04/26(月) 17:16  No.195
  小樽新聞 上田重良によって改題のころ四べージ建てであったが、明治二十八年から三十一年にかけ三回にわたって刷新をこころみ、三十二年五月から六ぺージ建てに紙幅をひろげ、道内各地に支局をおき、四十年九月には拡張した工場に新鋭輪転機を設備して八べージ建てとした。ついで四十一年、大正二年の二回にわたって新活字を採用、支社、支局の拡充をはかり、大正二年九月、創立二十周年記念号、同四年五月、七千号の記念号を出した。
 創立いらい敏腕をふるった上田重良は大正四年二月死去したが、同七年八月、組織を資本金三十万円の株式会社に改め、社長には重良の未亡人上田寿久が就任した。
 創業いらい上田を助けて経営につとめた矢上以久三郎ほか北海民燈のころ寄稿したのを縁に入社した平野文安らが女性社長を補佐して社業発展に尽力した結果、しだいに紙勢を伸ばし、これにともない通信施設も整備して着々紙面に改善を加えたため北海タイムス、函館毎日新聞とならんで北海道の三大紙といわれるようになり、やがて函館毎日新聞がその勢力を失なってからは北海タイムスに激しく迫って対立した。
 その競争ぶりは、たとえば北海タイムスが日本電報通信社から内外ニュースの供給を受けるや直ちに帝国通信社と契約したのをはじめ新活字の採用、段数、建てぺージの拡大、夕刊発行など、つねに期を同じにするか、そのあとを追って対抗し、両紙の報道戦ははなぱなしいものがあった。事業面でも北海タイムスの全道少年野球大会に対抗して全道実業野球大会を主催し、北海タイムスが定期航空を開くや小樽新聞もまた小樽−札幌、札幌−旭川間に定期航空路を開設するなど、そのほか映画製作や巡回映写、体育競技、娯楽行事などでことごとく対立して闘った。この結果、販売部数も伸びて北海タイムスと伯仲するまでに迫ったが、大正八年四月、社内の紛争から退社した一派が既存の「小樽商業新報」を改題した「新小樽」にたてこもったことなどがわざわいして、一時、広告掲載量では北海タイムスをしのぎ、発行部数もほぼ互角といわれていたのが、大正末期には激減して四万ほどまでに落ちこんでしまった。これを盛り返すため十四年十月、港町十六番地の社屋を拡張して第二工場を新設し、高速度輪転機を施設して紙勢挽回につとめ着々その成績をあげた。
 政治的には北海タイムスが厳正中立を宣言したとはいえ、同社の首脳が政友会に属していたため、道民はなお政友系と見なし、小樽新聞をもってその反対派と見ていた。

(※ この文章はAbに直接続きます)

 
▼ 小樽新聞Ab
  あらや   ++ ..2010/04/26(月) 17:18  No.196
   昭和に入ってからも北海タイムス、小樽新聞の競争はいよいよ激しく、満州事変発生とともに大陸戦線への従軍記者派遣、陸上競技北海道記録章制定、北海道樺太年鑑の刊行など各分野にわたって事業を企てた。十二年八月、地崎宇三郎が取締役として入社し、資本金を五十二万円に増額のうえ、役員陣を強化して五十嵐康二が専務取締役に就任、その翌年十月には地崎宇三郎が空席の社長に就任するや、経営会社を新しく起こして積極経営方針をとった。これにともない十一月、釧路新聞社長遠藤清一を専務取締役に迎えるとともに釧路新聞を経営傘下におさめて東北海道に勢力を伸ばし、また、北海道経済興信所およびオールトピック社を支配下に、十四年には傍系の北方農業社を経営し、ついで十五年九月、網走新報を姉妹紙として道北方面にも勢力をひろげた。
 十七年三月にはさらに読売新聞社からの資本導入をはかって、同社から出向の長沼欽一が取締役編集局長に、大江原矯が監査役に就任し、題字下に「読売報知姉妹紙」と記して読売新聞の通信網と機能を通じて報道体制を強化した。これら編集ならびに経営の刷新は発行部数の上昇となって現われ、印刷施設も高速度輪転機一合を増設して三台とし、わが国新聞界の有力な地方紙としてその声価を高めた。
「わが社五十年の歴史は、新聞永劫の紙令に考うれば、必ずしも永しとしないが、幾多の思い出は読者とともに尽きないものがあり、懐しき語り草の数々は尠しとしない。しかし、時局は徒らなる追憶と感慨に耽るを許さず、一切の懐古的情想を払拭し、利害情実を超越して勇躍新発足につかねばならないのである。」
と、終刊の辞を読者に告げ、一万六千七百二十五号をもって輪転機はとまったが、朝刊五版建て、夕刊三版建て、小樽市内版のほか、札幌版、上川留萌宗谷版、石狩空知版、東北版、道南版、樺太版、綜合版を発行、その発行部数は九万部に達していた。
(「北海道新聞三十年史」より)

 
▼ 北海道大百科事典
  あらや   ++ ..2010/05/01(土) 07:40  No.197
  小樽新聞 おたるしんぶん
1893年(明治26)5月、北海道毎日新聞の傍系政治雑誌として札幌で創刊した北海民燈(月2回発行)を、上田重良が経営してから小型日刊紙に改めて本社を小樽へ移し、翌年12月に小樽新聞と改題した。当時は小樽で最初の日刊紙北門新報が札幌に本拠を移し、その後、木村秀実の北辰日報、村上祐の新北門が発行されたが、いずれも短期間で廃刊。木村昇太郎の創刊した小樽商業新報があり、永い社歴を保ったが、小樽新聞は積極経営で地方有力紙となった。小樽新聞がとくに力を入れたのは経済記事で、1898年から商況欄の付録や水産週報を出し、翌年5月から本紙を6ページ建てに広げ、1926年(大正15)6月から朝夕刊を発行。1907年(明治40)北海道で初めて輪転印刷機を入れ1927年(昭和2)ドイツ製高速輪転機を導入した。社業発展には上田社長の経営意欲と、創刊当初から在社した坂牛祐直、平野文安、加納観濤、大正期には今里静山、西島元甫らの記者、営業の矢上以久三郎らの活躍が寄与している。上田の没後、未亡人寿久が後を継いだが1929年、社内分裂を起こしたことから業績が衰え、建て直しに山本厚三の一族、ついで地崎宇三郎が1937年から再建に加わり、地崎社長のもとで小樽新聞経営株式会社の経営に移った。経営の積極方針は変わらず1938年に釧路新聞を、2年後には網走新報を傍系紙とし、1942年には読売新聞と提携している。社歴の系譜では、北海タイムスの身内であったのに終始ライバル意識を燃やし、とくに支持政党で色分けを鮮明にした。 (佐藤忠雄)

※ 北海道大百科事典(北海道新聞社,1981)

 
▼ 沢田天峯/啄木散華
  あらや   ++ ..2010/05/01(土) 07:42  No.198
   七.洲崎町の下宿屋
 例年二月は北海道にとって一番交通事故の多い月である。北西の風が吹きつのり、之に雪が加はると忽ち猛烈な大吹雪となり、天地間たゞ雪の塊まりの乱舞に任かせ、鉄道線路には時ならぬ雪の小山を築き、雪崩が落ちて列車の運行を停めて了ふことは珍らしくなかった。除雪人夫を繰出し、ラッセル車を突進させてもダイヤの狂ひが容易に調節されず自然沿線の各駅には雑穀、木材、石炭と云ふやうな大量の滞貨が山と積まれて、荷主側から苦情が出る、商人側から商機を逸した責任を鉄道当局に持ち込むと云ふ騒ぎを、年々歳々繰返してゐた其頃である。
 鉄道庁(鉄道省の前々身)では此道民の反感を緩和する為め、北海道管理局に命じて鉄道冬季操業視察団を組織させ、道内の幹線全部を一巡して、鉄道側の苦心の実況を見せてやらうとの企が実行され、二月十七日から約十日間に互って可なり賛沢な鉄道旅行を試みたことがあった。団員は北海道庁の商工係と交通係、函館、小樽、札幌三市の商工会議所役員、それに新聞雑誌記者を加へて十数名、私も「小樽日報」を代表して一行の末席に列ってゐた。主人側は管理局長の野村弥三郎氏を筆頭に関係各課長、技師連で、其中には、現満鉄副総裁の大村卓一氏も一工務課長として、素朴な風采で参加してゐたのは面白かった。
 一行の釧路に入ったのは明治四十一年二月二十日の夕暮であった。…

以下、「おたるの青空」を参照ください。沢田は一行の宿には泊まらず、啄木の下宿を訪ねて行くのですが、啄木はおらず、朝帰りしてきた啄木を目撃する…という、あの有名な逸話につながります。

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