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No.181 への返信フォームです。

▼ あの道この道
  あらや   ++ ..2009/09/16(水) 08:40  No.181
  きっかけは、雨続きの今年の七月、苦し紛れに撮った「今日の小樽」の一枚だった。
手宮から見る小樽ってカッコいいなと思った。まだマンションも建っていないし。町の先に小樽湾や平磯の岬がドーンと広がっているのがとても気持ちいい。
で、こんなに素晴らしいロケーションなんだから、きっと通りや坂に由緒ある名前がついているんだろうと思って市内の坂や道を調べ始めたのがきっかけだったのです。(で、この道には別に何の名前もついていない、ただの手宮の道だということがわかって、それはそれでひどく小樽的だと感じいったのでした…)

あまり安易にインターネットを使いたくない。まずは古式ゆかしく、昭和48年10月から11月まで北海道新聞小樽後志版に連載された名作「あの道この道」をたらたら歩いてみようと考えています。市立小樽図書館は「あの道この道」全22回を一冊にまとめてファイルしてあるのでとてもありがたい。その目次です。

1.地獄坂 2.柳川通り 3.船見坂 4.商大通り 5.日蓄小路 6.仲見世通り 7.千秋通り 8.貝殻小路 9.都通り 10.桃太郎団子坂 11.引っ越し通り 12.嵐山通り 13.稲荷小路 14.静屋通り 15.手宮タヌキ小路 16.観音坂 17.中央通り 18.浮世通り 19.成り金通り 20.国際街 21.公園通り 22.金曇通り

(なを、このBBSは無料レンタルなので、画像やURLを入れることができません。画像は「今日の小樽」のギャラリーをご覧ください。)

 
▼ スケッチ・昭和四十八年小樽
  あらや   ++ ..2009/09/30(水) 19:57  No.182
   落ち着いた家並み、情緒あふれたふん囲気−古き良き街・小樽も時の流れの中で大きく姿を変えようとしている。開拓のころ、にぎわった通りや小路の変容ぶりも著しい。市内のアマチュア画家に昔懐かしい“あの道この道”をスケッチしてもらった。

これは「あの道この道」の連載第一回に付けられた序文。本当にこのスケッチがすばらしい。じつによく昭和四十八年の小樽が描かれていて懐かしさがこみあげてくる。付いている略地図もいい。今はなき建物の名前が入っていたりして、昔の記憶がよみがえってくる。
私は汽車通学の札幌の高校生でした。疲れて寝過ごし小樽まで行ってしまったりしたのが小樽との関わりの始まりです。その頃歩いた街並みの記憶と、十五年前に小樽に移住してきてからの小樽の街の間には微妙に変化があり、「あれ…こんなだったかな?」と思うこともよくありました。今回、この「あの道この道」に出会って、文章や略地図で「ああ、こうだったか…」と納得することも多かったのですが、それ以上に、このスケッチに描かれている街並みによって、なにか劇的に当時の記憶がよみがえってくるような体験をしました。
やはり画像があった方がいいなと思います。著作権の関係もあるのでこのスケッチをアップすることはできませんが、自分で撮った写真でも少しは役に立つかもしれないとも思い、この「あの道この道」再訪の企画はスワン社資料室の方で展開しようと今は考えています。

 
▼ 小樽点描
  あらや   ++ ..2009/12/05(土) 21:55  No.187
  道新「あの道この道」が描いた小樽(昭和48年)以降で勉強になったのは、昭和52〜54年の朝日新聞小樽版連載「小樽点描」でした。「小樽−坂と歴史の港町」として単行本化されていますので、市立図書館で一冊に複製した「あの道この道」を見つけるまでは、「小樽点描」の方を参考に使うことが多かったです。坂の名ということでは、両者かなりカブっていますね。(若干「あの道この道」の勝ち?)

けっこう驚いたのは、平成13年4月から18年1月までの長きにわたって市の「広報おたる」に連載された「おたる坂まち散歩」。この頃の私はもう小樽市民ですから、毎月新聞に挟まって届けられる広報を毎回必ず読んでます。私のイメージでは、もうこの連載はいつまでも(広報が終わる日まで)続いて行くもんだと思っていました。(それくらい日常の一部化していた…) この連載は繰り出してくる技が凄かった。聞いたこともない坂の名がじゃんじゃん出てくる。けっこうな快感でした。

 
▼ おたる坂まち散歩
  あらや   ++ ..2009/12/05(土) 21:57  No.188
  全50話に繰り出された「坂」。

第1話(序章).坂道に人情が行き交うまち 小樽 2.長い長い 励ましの坂 3.その名もゆかしい 団子坂 4.昔変わらぬ職人坂 5.荒巻山と十間坂 6.能島通りと十間坂 7.今や急ではない三本木急坂 8.コッフさんと外人坂(前編) 9.コッフさんと外人坂(後編) 10.ご利益のある五百羅漢の坂 11.港を見つめる船見坂(前編) 12.港を見つめる船見坂(後編) 13.長昌寺の坂と銀鱗荘 14.高島と小樽をつなぐ稲荷坂 15.浄応寺の坂(前編) 16.浄応寺の坂(後編) 17.いなりの坂(前編) 18.いなりの坂(後編) 19.地獄坂と警察署の桜 20.地獄坂と小樽商科大学 21.地獄坂とカトリック富岡教会(前編) 22.地獄坂とカトリック富岡教会(後編) 23.観音坂(前編)幻の鰊御殿 24.観音坂(中編)伊藤整の初恋 25.観音坂(後編)蘭島海水浴場 26.赤坂(前編)小樽港とともに 27.赤坂(後編)小樽海港博覧会 28.山ノ上の坂(前編)安政の坂道 29.山ノ上の坂(後編)旧小堀商店 30.十一坂(前編)十一荒木酒造 31.十一坂(後編)末広稲荷 32.うまやの坂 33.神田坂 34.なべこわしの坂(前編) 35.なべこわしの坂(後編)馬頭観音 36.紅葉橋の坂(前編) 37.紅葉橋の坂(後編)公会堂と市民会館 38.社ヶ丘の坂 住吉神社と船上山 39.千秋通りの坂(前編)千秋閣 40.千秋通りの坂(後編)天狗山スキー場 41.見晴らし坂(前編)旧板谷邸と「坂の上の雲」 42.見晴らし坂(後編)旧板谷邸と出世坂 43.一尊庵の坂 44.山中海岸の坂 チャラセナイの滝 45.野藤阪 梅ヶ枝町界わいの今と昔 46.馬追坂(前編)ニシンの群来た浜 47.馬追坂(後編)幻の銭函運河 48.停車場の坂(前編)徳源寺 49.停車場の坂(後編)伊藤整も通った坂 50.薬師神社の坂 子どもの声の響いた坂

今回の「坂」調べの発端となった写真の坂ですが、この目次を作っていて、ラスト第50話に登場する「薬師神社の坂」と知りました。豪華出演全50話のトリをつとめるだけあって、やはり、いろんな意味でインパクトをあたえる「坂」なのかもしれませんね。

 
▼ ボーナストラック
  あらや   ++ ..2009/12/05(土) 21:58  No.189
  今が旬なので…「坂の上の雲」。(今日も再放送に特番、やってましたね)

 41.見晴らし坂(前編)旧板谷邸と「坂の上の雲」
 観光客でにぎわう堺町通り。通りの山側に沿って急ながけが続いています。ふうど館の向かい小路に入り、突き当たりから右に曲がると、がけに沿って上っていく細く急な坂があります。
 坂を上っていくと、途中に数本の木があり、冬枯れの枝に残る実からキリの木だと知れます。上るにつれて、港と石狩湾が立ち上がってくるように展望が広がります。これが「見晴らし坂」です。
 坂を上りきると、右手には高い石塀を巡らした立派な門構えの屋敷があります。約千五百坪の敷地のこの屋敷は、海運業で財を成した板谷家が昭和二年に建てたものです。施工業者の大虎は当時一流の建築業者で、公会堂なども手掛けました。この屋敷は平成十一年に売却され、現在は所有者が異なるため、ここでは「旧板谷邸」と表記します。
 初代板谷宮吉(いたやみやきち)氏は安政四(一八五七)年、現在の新潟県生まれ。十四歳で北海道に渡り、商店の奉公から努力の末独立し、信香町に荒物雑貨店を開業しました。その後、精米、しょうゆ醸造など多くの事業を手掛けました。戦後まで製造の続いた板谷醸造部の「イ印のしょうゆ」を懐かしく思い出す方も多いのではないでしょうか。
 板谷家ではこれらの原料を郷里の新潟から運ぶため、明治二十六年に小型汽船を購入。これが海運業に乗り出すきっかけです。その後、船舶を購入し事業を拡大していきます。
 板谷家の転機は、明治三十七(一九〇四)年に始まる日露戦争の時に訪れました。
 日清・日露戦争を描いた司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」。物語に登場する旅順港閉塞作戦は、ロシア太平洋艦隊を旅順港内に閉じこめるため、借り上げた民間商船を港口に爆沈させて障害物にするというものでした。同年三月、二度目に行われた作戦で沈められた四隻の商船のうち、「米山丸」「弥彦丸」は板谷の誇る英国製の船でした。
 二隻の損失に対して戦後政府から支払われた補償金により板谷の海運業はさらに発展します。
 旅順港閉塞作戦の翌年の明治三十八(一九〇五)年五月二十七日、東郷平八郎が率いる連合艦隊とロシア・バルチック艦隊が対馬沖で死闘を繰り広げた「日本海海戦」から今年でちょうど百年。
 坂の上から眺める春の日本海は、同じ海でそのような激戦があったとは思えない穏やかさです。

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