[レンタルBBS-21style]


No.169 への返信フォームです。

▼ 私のなかの歴史
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:41  No.169
   1994年に大きな出来事がありました。開発局は後志のマッカリ(真狩)川で近自然河川工法の考えを取り入れた改修を行っていました。マッカリヌプリ(羊蹄山)の山麓のきれいな湧水がつくった川です。ここはオショロコマのほぼ南限。氷河期には河口まで下っていたこの魚が、その後、水温の低い源流部に隔離されたため、体が小さくておなかが赤い、世界でもここだけの姿になって生き続けているところでした。
 現地に行ってみると「河畔の木は残す」というように、改善された面もありました。コンクリートも使わず、自然の石を川底に敷き詰めています。しかし、その石は拳より大きく、これを源流まで敷き詰めていく計画だったのです。サケの仲間であるオショロコマは、メスが川底を掘って産卵します。これでは、絶滅してしまうでしょう。
(自然と社会をつないで・第10回)

北海道新聞の夕刊で時々連載している「私のなかの歴史」。五月下旬からの連載は「自然と社会をつないで」というタイトルで北大大学院教授の小野有五さんの「私のなかの歴史」でした。

ロクに新聞も読めない忙しい日々が続いていた五月なので、気がつくのが遅れた。この第10回の記事でハッとして、前の新聞引っぱり出してきた次第です。

 
▼ 小野有五
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:43  No.170
  まず、連載第1回にある小野有五さんのプロフィール。

おの・ゆうご 1948年(昭和23年)、東京生まれ。東京教育大(現・筑波大)で地質学を専攻し博士課程修了後、日高山脈やヒマラヤなどで氷河地形を研究する。86年に北大大学院環境科学研究科(現・地球環境科学研究院)助教授、87年から教授。市民団体「北海道の森と川を語る会」代表。千歳川放水路計画やダム建設の問題などに自然保護の立場から取り組む。著書に「自然のメッセージを聴く」「北海道森と川からの伝言」(いずれも北海道新聞社刊)など。札幌市在住。61歳。

「私の中の歴史/自然と社会をつないで」は、プロフィールにもある通り、小野有五さんの自然保護の実践について語られているのですが、その合間合間に語られる思い出の本の話がとても興味深く、このBBSでは主にその部分を引用させていただきます。

 
▼ 小野俊一
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:45  No.171
   家族同然で暮らしていたロシア人のワルワラ・ブブノワさんは、日本にロシア・アバンギャルドや構成主義の芸術を伝えた画家であり、また偉大なロシア語の教師でもありました。長いこと早稲田大学で教え、多くのお弟子さんがいました。ブフノワ家と深い縁があるプーシキンの詩の朗読は有名でした。父俊一も戦後はロシア文学者として、シーモノフの翻訳などをしていました。
(自然と社会をつないで・第2回)

 
▼ 有島武郎
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:46  No.172
   この一カ月の調査で、すっかり北海道が好きになってしまったのですから、運命というのは不思議なものだと思います。しかし、北海道を好きになった理由はほかにもありました。空知に入る前、北海道に着いて真っ先に行ったのは岩内(後志管内)です。中学の時、有島武郎の「生れ出づる悩み」を読んで感動し、まずその舞台に行きたかったのです。
 あまりに海がきれいで驚きました。ただ、本州のつもりで泳いだら冷たくて風邪をひいてしまい、札幌に着いて真っ先に行ったのは駅前の薬屋さんでした。薬を飲んで、その好きな地にまま向かったのは北大植物園と北大のキャンパスです。北大では白い壁の古河講堂と、周りに立つハルニレの巨木に感動しました。もしいつか就職できるとしたら、北大か、山に近い信州大学、というのが、当時の私の夢にもなりました。
(自然と社会をつないで・第4回)

 
▼ 違星北斗
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:48  No.173
   雨が強い日は調査ができないので、宿舎で本を読んでいました。小さな本棚もあったのです。そこで違星北斗という人の歌集を見つけました。かわった名前で驚いたのです。「世の中は何が何やら知らねども死ぬ事だけは確かなりけり」という歌が特に心に残りました。
 しかし、その時は、彼が果たそうとして果たせなかったアイヌ民族の権利回復運動に、自分自身がかかわることになるとは夢にも思わなかったのです。
(自然と社会をつないで・第4回)

 
▼ 貞兼綾子
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:50  No.174
   ランタンでは、もう一つの発見がありました。貞兼綾子さんというチベット学者の女性が一人で村に泊まり込み、ヤクを放牧している村人の生活を調査していたのです。
 貞兼さんと歩くうちに、ヤクが草が食べ尽くさないよう、村人たちがよく工夫していることに気付きました。各放牧グループがすみ分けをするような形で移動し、群れの集中や重複を避けていたのです。ただ自然を調べるだけではなく、自然を壊さない仕組みを考えること、自然と人間の関係を考える科学が必要なのではないか、と思いました。それは環境の科学ということです。
 それまで、何の疑問もなく、ただ夢中になって氷河のことを研究してきたわけですが、機会があったら環境科学をやってみたい―と、その時初めて思いました。
(自然と社会をつないで・第7回)

 
▼ 知里幸恵
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:51  No.175
   北大に来て間もないころ、本屋で知里幸恵さんの遺稿集を見つけ、買って読んだのが幸恵さんとの出会いでした。
 「銀の滴(しずく)降る降るまはりに」で始まる「アイヌ神謡集」の編著者として知られる幸恵さんは、わずか19歳で世を去りました。いわれない差別のなか、自分の使命を追求しながらひたむきに生きた人生に私は感動を覚えずにはいられません。
 神謡集の序文は、初めての先住民族宣言と言っていい内容です。苦労の多かった彼女の人生を知り、その文章を読めば、誰もが、アイヌ民族が置かれている状況を、自らの問題として考えざるを得なくなるに違いない、と思いました。
(自然と社会をつないで・第16回)

 
▼ ル・クレジオ
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:53  No.176
   つらいことも多かったですが、うれしいこともありました。津島さんとともに「神謡集」の仏語訳のきっかけをつくられたフランスの作家ル・クレジオさんが、ノーベル文学賞を受ける前の2006年、幸恵さんのお墓参りに来てくださったのです。「知里幸恵の神謡集には文学の原点がある」と話され、私は胸が熱くなりました。
(自然と社会をつないで・第16回)

 
▼ シマフクロウ
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:55  No.177
   しかし、ゴルフ場ができれば切られてしまう森の中で、私は生まれて初めてシマフクロウを見たのです。シマフクロウは、じっと私を見つめています。その目は、私にこう語っていました。
 「あなたのような大学の先生が言うことなら、お役所や開発業者も無視はできないでしょう。反対する力があるのに、なぜ反対してくれないんですか。科学者なら、このままいけば僕たちが絶滅することは分かっているはずです。分かっていて見て見ぬふりをするのが環境科学というものなのですか。そんな研究って意味があるんですか」
 私の人生は、その時変わったのです。
(自然と社会をつないで・第8回)

 [干歳川]放水路計画はすでに自然保護を超えて社会問題、政治問題でしたし、川の地形を研究したといっても、自分は治水や河川工学の専門家ではない…。うかつに物を言うべきではないという「科学者の倫理観」が、まだ根強く私の中にありました。
 けれども、北海道で最大の環境問題が起きているのに、「環境科学」の専門家である自分が知らん顔をしていていいのだろうか? 悩んだ時、思い出すのは、根室で出会ったあのシマフクロウの目でした。
 「一般の人から見れば、あなたはずっと専門家でしょう? しかも環境科学者でしょう。なぜ知らん顔をするのですか?」。金色に輝く大きな目が、じっと私を見据えて静かにそう語りかけてくるのです。
(自然と社会をつないで・第11回)

根室のシマフクロウ、えらいぞ!

 
▼ 幸田文
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:57  No.178
  少し興味を持ったので、小野有五さんの著書「北海道 森と川からの伝言」も読んでみました。

 [幸田文さんが]亡くなって初めて出た本が『崩れ』である。それからほどなく『木』が出た。
 『木』はとくに北海道に住む人にとって、大切な本だと思う。「エゾマツの更新」に始まって、「ポプラ」でしめくくられる本だからである。
 北海道が舞台になるのは初めの章と、「灰」と題された有珠山の出てくる章だけで、最後はポプラでも東京のポプラなのだけれど、それでも、なんだか北海道にいてよかった、というような気持ちにさせてくれる。ふしぎな魅力をもった本である。
(小野有五「北海道 森と川からの伝言」)

 
▼ 宮沢賢治
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 19:58  No.179
   賢治を祭り上げることはたやすい。しかし、大切なのは、賢治と生きることである。
 こんなとき、賢治だったらどうするだろう? そう考えてみるだけで、私たちの人生はずいぶん変わるに違いない。
(小野有五「北海道 森と川からの伝言」)

小野有五さんにとっても、宮沢賢治は別格なように思えます。「森とともに生きる」「川と生きる」といった章に並んで、「賢治と生きる」という章を独立して設けて考察しています。

 
▼ T.S.エリオット
  あらや   ++ ..2009/06/15(月) 20:01  No.180
  「四月はいちばん残酷な月
 死んだ土からリラを産みだし
 思い出と欲望をないまぜにして
 重い根を春の雨でよび覚ます」
 T.S.エリオットの有名な詩「荒れ地」の冒頭はこんな詩句で始まる。
 やわらかい四月の雨が、春の恵みをもたらす。チョーサーの歌ったそんな古典的な詩をエリオットがもじった詩句だけれど、そんなことは知らなくても、
「四月はいちばん残酷な月」
 というフレーズは、いちど聞くと忘れられない印象を残す。
 とくに北海道にきてからは、この詩句が心にしみるようになった。
(小野有五「北海道 森と川からの伝言」)

私もT.S.エリオットのこの詩句が大好きで、本の最終章が、この詩句から、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」へ、宮沢賢治の「春と修羅」へ、北海道で火山灰を研究していた徳井由美さんの詩へと移って行く展開にはたいへん感じ入るものがありました。

ボタンを押すだけで文字をタグで装飾できるレンタル掲示板・日記
Name
E-mail URL
Fontcolor
Title  
cookie       DelKey