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45連隊について ..黒騎士
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| | 亡父は旧制加治木中学卒業後、鹿児島市伊敷にあった歩兵45連隊に志願兵として入営しました。二等兵から始まり軍曹(旅団司令部書記官)時代?に旅団長であった牛島満少将から推薦されたのか、陸軍予科士官学校へ入校。終戦の時は関東軍飛行場大隊隊長(少佐)でした。
書記官当時に目撃したそうですが、牛島さんは軍人が政治論議するのを極端に嫌ったそうです。それは将校談話室で政治批判していた将校達を整列させ、ビンタを食らわし「軍人は政治に口出ししてはならない」と諭したのです。
牛島さんの評判は特に沖縄で酷い扱いだと聞きます。確かに沖縄戦で多くの沖縄民間人も亡くなりましたし、ひめゆり部隊のような悲劇もありました。
しかし、牛島さんの人柄や思想を考慮するならば、どうも誤った評価をされているように私は感じます。東京在住の頃、沖縄戦終結時や終戦記念日に青山墓地にある牛島家の墓にお参りしました。
いずれ、再評価される日もあるでしょうが、何分にも当時を知る人々が年々少なくなっています。恐らく後10年もすれば居なくなるかもしれません。
関係者の子供として伝えておかねばなるまい、そう想っています。 |
| ..2011/10/25(火) 16:44 No.21 |
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| Re:45連隊について ..久永 |
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| | 黒騎士さん、有り難うございます。
45連隊の話は、大変参考になります。 特に牛島 満参謀に関しては、醜聞が多くあり残念に思うことしばしばです。 しかし、彼の本当の思想や人柄については少数ではありますが、語り継いで英霊の慰めになればと思います。
我が父は、二二六あたりから兵役に出され、二等兵から一等兵、狙撃兵、暗号兵などへて民間特務機関兵となりました。
牛島閣下には、長沙作戦前にお目にかかり親しくさせて頂いたようです。彼が、「沖縄へ自決に行く」時に「象牙の箸箱」を頂いて大切に鹿児島に持ち帰りました。我が家の宝です。 また、兄には「満」という名前も拝借しました。
私達兄弟は、子守歌のように戦争のことを聞かされて育ちました。 戦争の悲惨さなどタコができるほど聞かされました。朝ご飯を食べた戦友が夕方には戦死して戻ってこないなど哀しい話を幾度も聞かされて育ったのです。父にとっては、自己形成を作る大事な時期を全て戦争に取られ、父には戦争が全てだったのでしょう。故郷に帰ってからは、「余った人生だ。」と常々話していました。
牛島参謀は、大陸に居る頃から「この戦争は最初から負け戦」と言っておられたようです。その様に冷静に先の敗戦を分析して沖縄という死地を求めて行かれた方が、あちこちで言われるような方ではないと察しますし、私の父は素晴らしいお人であると語っていました。感情的になって他者をつかまえてはけ口にする気持ちは充分察しますが、もっと冷静に考えて欲しいと願います。
「朝鮮半島は、植民地だった。」訳も分からぬ事を言う人が居ますが、日本と朝鮮は併合したのであって決して日本が武力で以て占領したのではありません。当時多くの朝鮮の人々が日本人を語ることを喜んだと思います。日本姓を名乗り、当時虐められていた中国人に見返していたのは、事実であります。しかし、これが通州事件や盧溝橋事件の遠因となったのも致し方ないのでありますが。
さらにいえば、沢山の朝鮮人の勇敢な兵士も靖国で英霊として祀られております。
この事実は、強制でそうなったのではなく、知覧や鹿屋の記念館に行けばわかりますが、彼らは進んで極東を護ろうと命を賭していったのです。この様な素晴らしき人々に支えられて今の日本と朝鮮があると思っております。
黒騎士さんが、言われるようにちゃんとした評価が今後歴史を通して再評価されると思います。先の戦争で命を落とした愛国者たちに幸あれと願わずにはおられません。
加えて云うならば、南京大虐殺などという嘘がまかり通るような世の中になったら、それこそ私達日本人の気力は失せてしまいます。(それが、彼らの狙いかもしれませんが、)また、A級戦犯という下らない言いがかりをつけて、敗戦後60年以上も士気を削ぐような情報戦略にも打ち勝っていかなければ、先の大戦の再評価は出来ません。
おっしゃる通り、私ども関係者の子孫が眼を開いて見ていかなければならぬと強く思います。
長くなりました。
多謝。 |
| ..2011/11/07(月) 12:56 No.22 |
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| 加筆 ..久永 |
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| | どうしてもこの様な話をしていると、云いたくて話したくてたまらない気持ちになります。ので、お許し下さい。
一般に先の戦争終結は、1945年(昭和20年)8月15日と思われがちですが、実際はサンフランシスコ講和条約の1951年(昭和26年)だと思います。この件に関しては、若狭 和朋著「日本人が知ってはならない歴史」に詳しいです。
因って、東京裁判なるものは米国による一方的な日本減退の戦術行為であるとおもいます。充分時間をかけて、我が国の体力(精神的な)を奪った後が本来の独立昭和26年9月8日のサンフランシスコ講和条約だと思っています。
しかしながら、独立とは形だけであり、日本各地に米軍基地を配備し、再起を図る日本人監視のていの良い植民地支配だと考えています。
東京裁判は、先日暗殺されたカダフィやイラクのフセインを見ればわかるように裁判や正義は、勝利した者の一方的な行為です。おまけに東京裁判は、裁判という名の占領行為です。裁判ならば、A級戦犯は、刑を受けて無罪放免になったと考えます。 が、この国に潜伏するスパイ及び売国奴が、国家衰退を測るためにプロパガンダを止めることなく、日本のために命を無くした兵隊さんたちに唾する行為を続けているのが哀しい現状です。
前出の若狭 和朋著「日本人が知ってはならない歴史」にもありますが、マッカーサーは本国に帰り「日本の戦争は、自衛のためだった。」と上院で証言しています。
推して知るべしであります。
云いたいこと沢山ございます。 終わります。 またです。 |
| ..2011/11/07(月) 15:46 No.24 |
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| Re:45連隊について ..久永 |
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| | 悪戯書き込みが海外から来るようになりましたね。 |
| ..2011/11/14(月) 15:51 No.25 |
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