[ホーム]





画像が貼れて絵が描けるカレンダー付き日記をつけませんか?月額190円!

レンタル日記 [毎日の日記の感想を書いてもらえる感想レス機能]

2013/8/15(木)
   花があったら  ..No.529
花があったら

昭和二十年三月十日の(東京)大空襲から三日目か、四日目であったか、
私の脳裏に鮮明に残っている一つの情景がある。

永代橋から深川木場方面の死体取り片付け作業に従事していた私は、無数とも思われる程の遺体に慣れて、一遺体ごとに手を合わせるものの、初めに感じていた異臭にも、焼けただれた皮膚の無惨さにも、さして驚くこともなくなっていた。

午後も夕方近く、路地と見られる所で発見した遺体の異様な姿態に不審を覚えた。

頭皮が焼けこげ、着物が焼けて火傷の皮膚があらわなことはいずれとも変わりなかったが、倒壊物の下敷きになった方の他はうつ伏せか、横かがみ、仰向きがすべてであったのに、その遺体のみは、地面に顔をつけてうずくまっていた。

着衣から女性と見分けられたが、なぜこうした形で死んだのか。

その人は赤ちゃんを抱えていた。

さらに、その下には大きな穴が掘られていた。

母と思われる人の十本の指には血と泥がこびりつき、つめは一つもなかった。

どこからか来て、もはやと覚悟して、指で固い地面を掘り、赤ちゃんを入れ、その上におおいかぶさって、火を防ぎ、わが子の生命を守ろうとしたのであろう。

赤ちゃんの着物は少しも焼けていなかった。
小さなかわいいきれいな両手が母の乳房の一つをつかんでいた。

だが、煙のためかその赤ちゃんもすでに息をしていなかった。

わたしの周囲には十人余りの友人がいたが、だれも無言であった。どの顔も涙で汚れゆがんでいた。

一人がそっとその場をはなれ、地面にはう破裂した水道管からちょろちょろこぼれるような水でてぬぐいをぬらしてきて、母親の黒ずんだ顔を丁寧にふいた。

若い顔がそこに現れた。

ひどい火傷を負いながらも、息のできない煙に巻かれながらも、苦痛の表情はみられなかった。

これは、いったいなぜだろう。美しい顔であった。

人間の愛を表現する顔であったのか。

だれかがいった。

「花があったらなあーー」

あたりは、はるか彼方まで、焼け野原が続いていた。

私たちは、数え十九才の学徒兵であった。

///////////////////

学徒兵で被災処理班として働いていた須田卓雄さんによる
1970年12月29日付朝日新聞の記事だそうです。


2012/11/1(木)
   もうすこししたら  ..No.528
ウェブサイトもまったく新しくつくりかえようと思っております。10年前くらいからこのままではあんまりじゃ。
いま子供が1歳と3歳、ひとりで世話するのにてんてこ舞いですが、毎日成長変化する様子に、感心します。ふたりの関係性が面白く、かわいくてたまりません。町で声をかけてくれるお年寄りの方からは再三、「いまが一番大変な時期だけど、逆に一番かわいい時期なんだよ」と言われてるので、たいへんさとかわいさをじっくり味わっております。
子供が学校など行き始めたら、きっと時間ができて、やっとウェブサイトを新しくすることができるでしょう。
そのころにはきっと違った絵も描いているでしょう。


2012/11/1(木)
   更新もなにもできてません  ..No.527
すみません、ウェブサイトもブログも更新ができませんで、もう11月になっていました。夏にはアリゾナに行きました。子供はさすが柔軟星人、東京からのいきなりの電気ナシ水道ナシ生活にもすんなりとけこみ、トイレも外の掘っ立て小屋だし風呂にもろくに入れない環境で楽しく遊んでおりました。

はじめてアリゾナのリザベーションに滞在したころは、その「何か足りない、あるいは無い」環境が、そして過酷だけど肌で感じられる自然の営みが、なんて子育てに良い場所なんだろうと思いました。
しかし実際子供を育て始めると、「あそこじゃ現金収入につながる仕事がろくにないから必要なものが買えないのでは?」「冬の吹雪とか大変じゃん?」「もし病気になったとき病院が車で1時間ってどうよ?」「買い物にもろくすっぽ行けないとなると大変じゃん?」など思ってもみなかった心配・・な感じな事が出てきて、住むのに二の足を踏む。あっれーあのころの私はどこ行っただ?

実際行った感想は意外にも心地よく、なんとかなりそうということでした。なんとかするのは自分です。



2012/3/5(月)
   いっしゅん疎開してきました  ..No.526
娘の股関節脱臼の治療、通院が3ヶ月間隔になったので、ずっと行きたかった宮崎へ行って来た。
母子移住、疎開の希望はあるけれど、ずっと動けなかった。待ってましたとばかりに行ってはみたけれど。
実際動くとこりゃ大変じゃ。まだまだ子どもは2歳(しかも脱臼治療中だから足が疲れやすい)と0歳で、手がかかる。うーん。
今回は友達の家にステイさせてもらい、車の運転から食事準備までお世話になっていた。
移住、引っ越しを考えてはいたけれど、さて母子だけとなるとあまり奥まったところに住むのも寂しい。庭のクサ刈りなんてきっと手が廻らんだろう。子らを風呂に入れるだけでも東京では実家の母に来てもらって手伝ってもらっているのに、これからどーすんだ。

どうするかなあ。
子のパパからは、アリゾナに来いと手紙が来ていた。やっぱり家族で一緒にいれたら一番良いんだが、彼は日本に来るとしばらくするといつもいやになっちゃって帰っちゃう。アリゾナにも行ってみようと思うが、そこで生活できるのかはかなり難しいと思う。まあいいや行ってみよう。



2011/5/13(金)
   署名もひとつ  ..No.525
http://www.antinuke.net/kaminoseki/


簡単にタグが打ち込める掲示板で楽しみませんか?月額190円!

レンタル掲示板 [豊富な荒らし対策・充実の宣伝書き込み対策]




No. Pass 
Pass