2009年2月24日(火)
名も無き手紙
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| ー前略、寒い日が続きますがお元気ですか? この度、退学届けを提出するにあたり、私なりにいろいろ考えるところがあって、今お手紙を書かせて戴いています。 統合失調症との病名を付けられている所為もあり、上手く言葉をまとめられるのかも分かりませんが、しばしこの駄文にお付き合い下さると嬉しいです。
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退学する事自体は、最後にお会いした2006年の3月よりも前に、テストをすっぽかした前後の日から決めておりました。 それを休学と言うカタチに変えたのは、周りの人達に「せっかく学校に受かったのに勿体ない」等言われたのもあるでしょうし、私自身多少なりとも退学する事に未練があったからかもしれません。自分が自分で決めて進学した学校と縁が切れるのが怖かったと言う事もあると思います。
以前先生にお会いした時は言えなかったのですが、退学を決意した経緯は、ふたつあります。 その事を少し話させてやってください。
まずひとつ目は、ちょっとした友人関係のトラブルが原因でした。 とある子に対しての、一部クラスメイトのあからさまな誹謗中傷。 そして陰口・シカト等など、何処へ行っても経験する、そしてウンザリするぐらい体験してきた事が一番最初のきっかけでした。
ふたつ目は授業中の騒がしさ。 今ではどうなのか分かりませんが、1年生だった当時の教室内の騒がしさは異常でした。休憩時間と授業中の区別も付かない程で、先生に注意されれば自分は悪くないと反論し、いろんな先生にクラスごと叱られる日々。 この軽い学級崩壊のような状態が4年間も続くのか…と思うと先が真っ暗になったように感じました。
そうしたような事が原因で、学校に行く気が徐々に失せていきました。 相談する相手も見つからず、私の方がおかしいのか?と溜め込み、夜も満足に寝られない日々が続きました。
そしてとうとうテストをすっぽかした当日、退学や休学と言う逃げ道も思いつかず、私は自殺準備を推し進めていました。 もうしんどい、もう消えてしまいたい。 そう思って黙々と作業を進めてました。
あの日、先生が私の部屋へ来てチャイムを鳴らさなかったら、多分もう私は死んでいたと思います。 ちなみにチャイムの音で玄関に出なかったのは、両腕はリスカで真っ赤に染まり、首には縄の痕が付き、洗剤を呑んだ所為で頭はまともに働いてないという状態だったからです。 だから先生が一度立ち去った後、車で逃げました。 車で走っている間に少し落ち着いて、その後、実家へと戻り、学校を辞めるという意思を、逃げ道を作りました。
これがあの日と退学を決意するに至った話の顛末です。 この事は、まだ親にも神経科の先生にも詳しくは話してはいません。 ですので、今まで書いてきた事は、酔っ払いの与太話程度に受け止めて下さると有り難く思います。
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一番最初の授業で先生が「今居るメンバー全員が無事卒業する事が目標だ」というような事を仰っていたのに、一番最初に約束をぶった切ってしまい本当に申し訳ないです。 そして、3年半もの間、中途半端な状態で居た事、これも謝りたい事のひとつです。 本当にゴメンなさい。
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…話変わりまして、当時のクラスメイトの皆は元気でしょうか。 保護者会だよりを見る分には、皆何処か成長したように感じました。 私一人だけ取り残されたようで少し寂しくもありますが、とても嬉しくも思います。 卒検を通った皆が揃って国試にも合格できますように…心よりお祈り申し上げます。
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随分と長くなってしまいました。 ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます。 普段あまり手紙を書く機会がないので、支離滅裂な内容になってしまったような気が…上手く言葉が伝わっていれば良いのですが。淡い期待ですね。
それでは、最後に。 敢えて言わせてやって下さい。 「先生にお会い出来たこと、クラスメイトの皆と短い間でしたが共に 勉強出来たこと、本当に嬉しく思います。 4年間本当にありがとうございました!!」
草々
No.41 |
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